<テバコラ 第47話>


☆天道、是か非か
                      
(2000/07/13)



「政権は銃口から生まれる」のだろうか。このテーゼを巡り、熱い熱い議論が、

中華中原の地で起こった。今を去ること三千百年余の昔、殷周易姓革命の時

であった。末期症状を呈していた殷(商)の紂王政権を、周・武王とその軍師・

太公望呂尚が中心となって、事もあろうに、武力で打倒してしまったのだ。

この覇業を思い止まらせようとして挫折した伯夷と叔斉の兄弟は、

「周の粟(ぞく)をはまず」と捨てぜりふを残し、首陽山にこもり、餓死して果てた。

司馬遷が後世、「天道、是か非か」と慨嘆したことは有名である。


この革命にあたっては、もう一人、司馬遷を感動させた男がいた。

箕子(きし)である。箕子は殷の王族だが、紂王に諫言し、逆鱗に触れ幽閉されて

いたのだ。武王は、自分のやったことを棚に上げ、殷朝はなぜ滅びたのか、

と箕子に尋ねる。箕子は、王道に関することでなければ答えられない、と返答した。

そして、恥じ入って襟を正した武王に、天地の大法としての八大基本施策を示した

のである。間然するところない司馬遷は、「ああ箕子か、ああ箕子か」と感嘆する

のみであった。この箕子が朝鮮に封じられ、箕子朝鮮の祖となる。


時代は九百年ほど下る。春秋・戦国を経て、初の中華帝国・秦の成立を見る。

天下一統をなしとげた始皇帝には、時間が必要だった。文字や度量衡や車軌の

統一、封建制から郡県制への転換、万里の長城の建設、文明宣布事業としての

軍事遠征、……すべてが手を付けたばかりである。ここで必要なのは、何といっても

まず寿命である。天下を手に入れ天子となった自分に、不老不死が入手できない

筈はない。そんな思いが募るところへ、徐福という、神仙道の探究をこととする方士が

現れる。東海中に蓬莱(ほうらい)・方丈・瀛州(せんしゅう)という三神島があり、

そこに行けば不老不死の霊薬が得られるというのだ。この話、始皇帝は直ちに乗った。


徐福の求めるまま、童男童女を供に、船を仕立てて送り出す。しかし九年後、徐福は

霊薬を持たないまま帰ってくる。東海中に神山を目前にしながら、大鮫や海神に

邪魔をされ近づけなかったのだという。寄る年波にあせりを感じていた始皇帝は、

今回も口車に乗る。今度は、童男童女三千人のほかに、さまざまな工人も随行させ、

五穀の種まで持たせて、紀元前二百十年、再度徐福を船出させた。この後、間もなく

始皇帝は没する。万世皇帝まで続く制度設計がなされていたはずの秦帝国は、

次の二世皇帝の代に、あえなく滅びた。


徐福は九年の間、どこで何をしていたのだろうか。そして、再度の出帆のあと、

どうなったのだろうか。そこは、さすがに文字の国である。邪馬台国のことまで

巨細にわたる記録を残したほどの中華文明である。徐福のフォローも、ちゃんと

してあった。史記に続く官製史書・漢書は、再出帆の八十数年後、徐福は平原広沢の

地で王になった、と述べている。少々高齢すぎるようだが、あるいは、徐福の後継者が

王になったという解釈もある。