★カミモフトゥキモ★
   (神も仏も)


             
(2001/03/21)



17日土曜日、この日は実は、冬至から86日目にあたる、

ニンガチカジマーイの特異日とされ、釣り人には台風以上に

恐れられている日だそうである。しかし、息子が折角東京から

来たのだ。流し釣りの醍醐味を味あわせずに、帰すわけにも

いかない。親の神聖な義務である。親のこの心配りには、

神も仏も何事かを見そなわすはずだ。


ここのところ絶好調の師匠と、師匠の秘密兵器・更に絶好調の

ご子息と連れだって、糸満から出港。この港は初めてだ。

この時点では小雨だが、特異日の伝説が頭を横切る。案の定、

ポイントに到着したころには、すでに篠つく土砂降りになっていた。

場所は慶伊干瀬(チービシ)と慶良間の間あたり。わが息子は、

フエフキの小さいのを一匹上げたところでダウン。船酔いである。

師匠+ご子息コンビは、次々と大物を上げていく。


この日の釣果、テバはゼロ。完膚無きまでのゼロである。

ミジンコ一匹掛からなかった。今までのボーズなんぞ、五分刈り、

三分刈りにすぎなかったのだ。今回は剃髪級の完全ボーズである。

親子揃ってボーズとは。苅萱道心と石童丸の物語より、はるかに

凄まじい、親子同時出家物語である。カミモフトゥキモ何処行った。

この日の夕食は、結局、前回同様、師匠親子様から頂いた

シルイユー(白鯛)などが材料になった。


思えば、長い長いボーズのトンネルだ。いつ頃突入したのだろうか。

2月の初竿では、一応、アカジンやガーラが釣れていたが、その前の

12月の丁稚の竿納めは散々だった。そして、3月3日がカワハギ一枚、

これで超「サンザン」かと思っていたら、まだまだ下はあった。

東シナ海のバーサーカーは、どこに行ったのだ。しかし嘆いてばかりは

いられない、翌々日にも海に出なければならない事情があるのだ。

こうなったら仕掛の総やりかえだ。時間も無いぞ。


19日月曜日、明け方に雨も止んでくれた。この日は、密航者三名を

座間味に送り届けてからの釣りだ。従って、座間味の周りから渡名喜に

かけてのポイントだ。空がどんどん晴れ上がってくる。お天気に関する

限り、文句無し。昼過ぎにはベタ凪ぎに近くなった。実は、テバの娘が、

急に参加したいと言い出したので、これも伴ったのだが、船内の

第一釣果は、この娘だった。中型ながらちゃんとしたタイを釣り上げた。

瀬戸○晴美にならずに済んだというわけだ。


ここで、ホッとしたのか、娘も船酔いでダウン。テバの子供は二人とも

 …… 父親はいつも平気だというのに。だれの子なんだろう。陸(オカ)に

戻ったら、女房に確かめなくっちゃ、などと漠然と考えたりしていたら、

来ました、久しぶりのグイグイのアタリだ。慎重に上げていくと、白い魚影、

シルイユーだ。思わず「トンネル脱出!」と叫んでしまう。続いて、

再びシルイユー、そして大型のマクブー(ベラ?)など。カミモフトゥキモ

あったのだ。それとも、我が娘は、ラッキー・マスコット?


ところが、テバがトンネルを抜けたと思ったら、師匠が替わりにボーズ・

トンネルに入ってしまったのである。そればかりか、例の船長も共連れで。

一方、常連Kさんは順調である。「ツキ」の神が船上を徘徊していて、

気紛れに誰かの後ろを立ち去り、次の人間の後ろに立つ、としか

考えられない。しかしまあ、諦めずに続けていてよかった。


帰り道は、密航者三人も入れて、船上でささやかなパーティー。

ビールで乾杯。白鯛もカワハギも美味しかった。


ところで、あの「針巻き器」、今回は持参しました。早く確実に巻けました。

こっそりやっていたつもりでしたが、モーターの微かな音を、Kさんに

聞きとがめられ、遂に見つかってしまいました。「まあ、まあ、クサリー・

ヤマトンチューのやること、お見逃しください」と謝るハメになりました。