☆★☆- ホンの幕間 -☆★☆

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[ 「のぞみ」は? ]
新幹線の「のぞみ号」は、いつ乗っても、騒音も激しいし、よく揺れるしで、あんまりよく眠れない。そんなに急いで帰ることもないのに、とは思うんだけど・・・。昨日買った「一ドル二〇〇円で日本経済の夜は明ける」という本も読み了えてしまった。仕方がないので、自動ドアの上に取り付けられているテロッパーに流れるニュースを、ボンヤリと眺めている。あれっ、何か変だぞ、日経ニュース。

「世界保健機構(WHO)は日本とスイスの
 たばこ価格は途上国並と非難

 禁煙に歯止めをかけるには
 たばこ増税と強調」

同じものが二度ずつ流れるので、確認することができる。やはり変だ。たばこを増税して禁煙に歯止めがかかるのなら、財務省もJTも大喜びで即時断行するだろう。それにしても、である、WHOっていうとこは、よっぽど他にやることがないんだろうな。いいじゃないの、このごろの日本経済は、国も個人も途上国並になりつつあるんだから。それとも、国連分担金値上げのためのフェイントかな。

(スモーキングカーにて)
2002/02/28(Thr) 曇り


[ 県庁の10階から ]
先週後半から、若干ハラハラしながら見守っていたのだが、県庁10階の不発弾処理も無事済んだらしい。結構新しいあの県庁に、もしも大きな穴が明いたらどうしよう、などと気を揉んでいた。昨夕のテレビニュースでは、朝9時ぐらいから、県庁から半径2〜300mの住民・事業所が避難を開始、同10時処理開始、10時半過ぎに終わったらしい。

大慶至極であるが、国際通りの西の端である。さぞや混乱と思われた。58号線にも交通規制が及んでいたという。で、我が家でも、沖縄の住民はなぜもっと怒らないのか、いいや、これこそ島の人々のやさしささ、というような遣り取りがあったわけ。それはそれとして、お見舞いとお祝いを兼ねて、電話をしてみてびっくり。相手はウチナンチュである。

ああ、あれね、ちょっと騒いでたけど、大したことなかったさ。それにしても、どうしてそんなこと知っているね。あまり騒がないようにしましょね・・・ときた。うーん、どーして??? そうか、世界最強の米軍を護衛していたナイチの機動隊が帰ったんだ。これから観光で巻き返すんだ。こんなとき、不発弾のハナシなんか迷惑限りないことなんだ。

わかりました、黙ってましょね。
2002/02/25(Mon) 曇り


[ タンカン便り ]
嘉利吉からの小荷物に、多分、宅配屋さんが入れたのでしょう、「タンカン祭り−産地直送便」という、ポケットティッシュの倍くらいのミニ・パンフが入っていました。受付は「2月〜3月上旬迄」となってます。そうそう、去年は「タンカン哀歌」を上梓したんだっけ、と思い、引っくり返してみたら、3月25日の日付でした。やはり3月上旬までだったんですね。こんなことが嬉しい、・・・それだけ嘉利吉は遠くなったんだ・・・

 タンカンの 香り運べや ミニパンフ

そのまんま、でした。でも、早速注文しました。
2002/02/22(Fri) 晴れ


[ 大発見!? ]
某新聞の記者さんの発見だそうです。あのロイヤルファミリーのお二方に、よく似た名前のような気もしますが、これを並べて書きます。(順不同です)

 おわだまさこ
 かわしまきこ

どちらからでも結構ですが、ジグザグに読んでいきます。つまり、たとえば、

 @   B   D
 お わ だ ま さ こ
   A   C   E
 か わ し ま き こ

もちろん、2,4,6番目の文字が一致しているためですね。何か、知的所有権や不○罪に抵触してしまいそうな内容でした。
2002/02/21(Thr) 晴れ


[ 「ツキスミ」その後 ]
先々週の3H会に続報です。HTさんの会社は、先週、第一号案件をまとめたようです。日経プレスリリースで確認しました。M&Aの最新型でMBOとかいうもののようです。大慌てで通産省系のレポートを斜め読みしたところでは、日本の風土に適した「暖簾分け」型M&A、とあります。う〜んなるほど、HTさんらしい仕事です。もっとも、書いてるテバが、そちらの方面はさっぱり白紙なのではありますが・・。HTさんからは、報告のメールをいただきました。

「・・・「つきすみ」などという懐かしい言葉が登場するとは思いませんでした。皆様に元気を頂き・・・第一号案件が調印まで漕ぎ着け・・・引き続き児童文学にも目を向け、ハゲタカファンドとはならないように留意してまいります。」

ツキスミも、多少のお役には立てたのでしょうか。何はともあれ、おめでとうございました。で、追いかけるようにHUさんも、HTさん宛の祝メールを転送してきました。こちらには、

「買収された会社名を、「つきすみ」とか、児童文学にちなんだものにされては如何でしょうか。やはり社長のご趣味及び禿げ鷹ではないというイメージをを反映することも重要ではないでしょうかね。」

とありました。なるほど、なるほど。社名にまでしてもらえたら、ツキスミも○○冥利に尽きるというものですよね。ところで、○○には何が入るのかな・・・?

?(^。^)?
2002/02/20(Wed) 晴れ


[ 「焼」とは? ]
新横浜の駅前に「大阪焼」という露店がある。キョロキョロしているオバァと目を合わせないように気をつけながら、チラチラと見たところでは、直径12〜13pのまん丸な、お好み焼のようなもので、上にソースが塗ってあった。この寒い季節の内地である。昔のブタ・モードのテバなら、ためらうことなく一枚買って、歩きながら囓っているところであった。危ない、危ない。それにしても大阪を焼いてしまうというネーミング、秀逸である。しかし、である。大文字を焼くのとはケタが違う。本当に大阪を焼くつもりで設計されたジャンクフードなのであろうか。

そこで、直ちに思いついたのは、タコ焼と明石焼の関係である。タコ焼は問題なくタコを焼いている。しかしこれをダシに入れると明石焼となり、その場合の「明石」は明石風という意味になる(のではないだろうか・・・)。丁寧に言うなら、「タコ焼明石風」ということだろう。このあたり、舌ビラメのソテー・ブルターニュ風と通じるものがある。(そんな一品が、本場のおフランスにあるのかないのかは別として。)そうすると、大阪焼とは「○○焼大阪風」になるわけだ。正確な物理表現は得られた。あとはこれを解ける形にするだけ。さすが、元・研究者である。

すると未知数は○○である。残念ながら、いくら考えても、未知数の数(1)と方程式の数(0)が一致しない。不定解である。一応お好み焼のようには見えたのだが、こればかりは買って食べてみないとわからないわけだ・・・と、ここまで気づいたときは、とっくに通り過ぎていた。危ない、危ない。まあ〜、どうせ人生・謎また謎だ。一つや二つぐらい、半分だけ答を出して、放っておくような問題があってもいいだろう。こういう問題のグループを「ホルモン・グループ」とでも名付けておくことにしよう。ここまで整理できて、やっとすっきりした。電車も来た。
2002/02/15(Fri) 晴れ


[ あけまして おめでとうございます ]
・・・テンテン ツンツル テンツルシャン・・・(安波節のつもり)

かりゆしぬあしび うちはりてぃからや
(嘉利吉の遊びうちはれてからや)

ゆぬあきてぃ てぃだぬあがるまでぃん
(夜の明けて太陽のあがるまでも)

今年こそ良い年でありますよう。

S師匠におかれましては、船が引っくり返るくらいの大漁を、D師匠におかれましては、輪転機が壊れるくらいの発行部数を、他の皆々様も、それぞれ困ってしまうくらいの大躍進を、心からお祈り申し上げます。

そうそう、それから今日は、菜の花忌でもありました。天国の司馬先生に、合掌・・・
2002/02/12(Tue) 晴れ


[ 読了 ]
白鯨を読み終えてしまった。寂寥・・・

Seat thyself sultanically among the moons of Saturn, and take high abstracted man alone; and he seems a wonder, a grandeur, and a woe. But from the same point, take mankind in mass, and for the most part, they seem a mob of unnecessary duplicates, both contemporary and hereditary.

[君は土星の衛星群の間にサルタンのように坐し、人類のうちの最高の典型としての一人を取り上げて見たまえ、それは驚異であり荘厳であり悲愁であるだろう。しかし、同じ点から、人類を群衆として汲み上げて見たまえ、それは、必要もなく、同時代間にまた遺伝的に重複し合ったところの衆愚というほかなかろう。]

19世紀半ばという西欧近代文明の大驀進期に、メルヴィルはどのようにして、このニヒリズムに到達できたのだろう。今日は、放送大学学長さんの講演を聞く機会があったのだが、「近代の卒業のために」、あるいは「近代の拡大と閉塞、そして日本」というような、重い内容を含むものだった。妙に共鳴する部分がある。メルヴィルの感性は、現代のアメリカ人すら超えていたようだ。成長が既に停止し、これからは、どの国も経験したことのない急減な人口減少期を迎えようという日本、この国の人々の感性に近いのである。テバも、これに惹かれて読み進んで来たらしい。

それにしてもエイハブ船長の最期、白鯨にロープでがんじがらめになり云々、そんなシーンはなかった。劇画とか映画とかで、後から刷り込まれた記憶だったようだ。この作品全体がある種のアポカリプス(黙示録)なのだから、そんなエンディングは相応しくないことに気付いた。ま、ハリウッド映画ならそこまでやるんでしょうが、それこそ、西欧近代文明そのものの手法になってしまう。メルヴィルが生きていたら、映画化には絶対OKを出していないはずだ。イシュメイルの語りであるからこそ、時代を超えて、現代の我々にも伝わるメッセージがあるのではないだろうか。

"AND I ONLY AM ESCAPED ALONE TO TELL THEE" Job.

[「我これを汝に告んとて只一人のがれ来れり」(ヨブ記)]

寂寥・・・。しかし、ひょっとしたら、現代の日本人は、エイハブ船長からであれば、勇気を貰えるのかもしれない。
2002/02/09(Sat) 晴れ


[ 粒々半歳 ]
2001年8月8日(水)、この日は記念すべき日でありました。冷蔵庫の大掃除をしたのです。内容は至って簡単。氷、水、お茶、ミルク、これらを除いて、全てをゴミ袋に詰め、集積所に出したのです。そう、ダイエット開始の号砲です。なお、水曜日がゴミの収集日であったことは言うまでもありません。それからの数日は、ミルクと泡盛だけがエネルギー源でありました。数日後には、1日3本のカロリーメイトスティック(100`i/本)がこれに加わりました。この状態が約1週間続きました・・・粒々半歳

あれからちょうど6ヶ月が経過しました。約3ヶ月前に達成した☆BMI=22=標準値☆は、ビクともしていません。体調も良いようで、先週末にはインフルエンザに罹ったのですが、軽い熱が出たのと、頭がやや重かった程度で済みました。基本的には余計なカロリーは摂らないようにしていますが(「弁別」参照)、時には砂糖たっぷりのコーヒーやクリームどっさりのケーキもいただいたりしています。「己の欲する所に従いて規を超えず」という、孔子も70歳にしてようやく達したと言われる境地であります。

先日、いくら食べても太らないという幸福な人々と、いくら太っても気にならないという多幸症の人々とから成る、混成チームに拉致されました。その先で待っていたのは「ふく」でありました。盲亀の浮木、優曇華の華であります。親の仇は見逃すとも、逃してならぬはこの「ふく」の福、というわけで、フルコース全てをいただきました。少々気になったのですが、次の日のベルトの状態は全く異常なし、でありました。こうしたことを連綿と書き綴るのは、本来、趣味ではありません。ま、記念日ということでご容赦を。

そもそも謙虚な性格なので、こちらから持ち出すことはないのですが、ダイエットをやっていると、いろいろなことを言われます。「無理はよくない」とか、「意味があるのか」とか、「年相応の太り方をした方がよい」とか、酷いのになると「ガンを隠してるんじゃないの」とか。放っておいて欲しいのに、悪口雑言罵詈讒謗であります。ま、これは正しい道を歩んでいる証しですね。古来、正しい道を歩む人は、必ずといっていいほど、迫害を受けたんですからね。キリストしかり、ムハンマドしかり、テバしかり。
2002/02/08(Fri) 晴れ


[ ツキスミ ]
もう20年来の付き合いになる三人である。生まれた年がまったく一緒だ。最初に知り合ったのは、ジャカルタ。仕事でチームを組まされることになった。当時、HTさんは超一流大手都銀の若手のホープ、HUさんは某政府系金融機関の気鋭の企画マン、そしてHVことテバは……。初めから、なぜか、気があっていた。プロジェクトも2回ほどご一緒したが、それが終わってからも、頻繁に顔を合わせる機会を持った。名付けて「3H会」。HTさんなんかは、家が近いこともあり、我が家に尋ねてきてくれたりもした。

それから20年、世の中も変わった。頭髪も変わった。HTさんは、大分天辺が薄くなってきたようだ。HUさんは、ほとんど白髪である。テバはおでこが少々……。何よりも、当時と同じ会社にいるのは、今やHUさんだけになってしまった。HTさんは系列子会社の社長さんになっている。テバは……。自然、苦労話が出て来やすい。・・・ちょうど、社長のHTさんの会社経営の大変さにハナシが向いてきた。比較的口が悪い(ごめん!)HUさんが、べらんめえ調で「ハゲタカファンドでもやればいいのさ云々」とやりだした。今だ、と思った。

実は夕方、今日はこんなメンバーで会うよ、と、謎の協力者ひまさんにメールしたのである。ところが、これに対する、ひまさんの謎のアドバイスは、「ツキスミ」だったのであった。これをHTさんの前で唱えなさい、というものであった。「ひらけゴマ」のようなものであろうという程度で、すっかり忘れていたのだが、ここで急遽思い出したのだ。

 テ「ツ・キ・ス・ミ!」

HTさんの俯いていた顔が上がった。たちまち優しい笑顔が広がった。

 HT「そうか、覚えていてくれたのか!」

そこには、20年前の青年の莞爾とした笑顔が戻っていた。恐るべし、言葉の魔力。

[テバには意味不明・・・]
2002/02/07(Thr) 曇り


[ ]

……なおしなさいね 悪い癖 爪を噛むのはよくないわ……

一世を風靡しましたね。特に、往昔、時代はややリバイバルの頃、北○新地なんかでこれを歌います。若さに、やや縁遠くなったお嬢様方が、「まっ、お若いのに、こんなしぶい歌を……」なんて、胸トキメカし、紅涙をしぼってくださったとかなんとか。良い時代でありました。これも青春、あれも青春。

ところでテバの右手の人差し指です。3ミリほど爪が伸びてきました。ヤスリも丁寧にかけてます。もちろんこれは、サンシンのためです。ちゃんとした練習はバチ(爪みたいなもの)でやりますが、深夜ひそかには、これで爪[つま]弾くのです。邪道だ、と師匠は言いますけどね。住宅事情にも、どうかご配慮を。

左手の親指の爪、これは、一時、半分切れかかって、ぶらぶらしてました。原因は魚。おろし損ない。切った瞬間は、我が指ながら、オヤ!っと思ったことです。でも幸い、水絆創膏(製品名「コロスキン」)というものがあることを、教えてくれた人がいました。これが便利、自然にはがれる頃は、治ってました。

きょうは、つまらないところで、「爪三題」でありました。
2002/02/05(Tue) 晴れ


[ 女子大教師庭訓 ]
K先生は、たまたま以前、数年間、女子大で講義を担当していたそうです。ヒトも羨む……というのはとんでもない話のようです。まず講義中の目のやりば、これが先輩から教わったとおりにできるまでに、約半年間かかったんだそうです。学生さんたちの頭上数10pこれが理想のようです。しかも真っ正面を睨んでいるだけではだめで、水平のまま、左右にゆるやかに彷徨わせるんだそうです。知らないヒトが見たら、ちょっと危ない視線ですね。

さらに注意、講義の勘所にさしかかると、必ずといっていいほど、頷く女子大生がいるそうです。人間である以上、K大先生も、条件反射的に、思わずその女子大生の顔を見てしまいます。しかし、これをやると大変なことになります。その周りの女子大生たちが、「K先生はA子ばかり贔屓している」、と騒ぎだし、講義どころではなくなってしまうのだそうです。したがって、心を鬼にして、頷く学生の方は見ないようにしなければならないそうです。

夏なんかは、特に大変なようです。200人近い女子大生から立ち昇る「かおり」が、教室の天井あたりに充満するのだそうです。先生は、一段高い演壇に立ったままですから、このかおりをモロに吸い込むことになります。2時間の講義なら、1時間ぐらい経過したころには、アタマがモーローとなっているようですよ。やっと講義が終わり、演壇を降りると、最前列の女の子が、「センセ、アイスクリームどうぞ」とか「ハンカチどーぞ」だって。

この最前列の女の子、一般的に、美人で勉強熱心が多いそうです
2002/02/04(Mon) 晴れ


[ 菜の花の果て ]
大寒を過ぎて間もない先月末のころ、菜の花のおひたしが出てきた。ビックリした。いったい、こいつは、どこから、……その出自、経歴等が、あ・や・し・い。聞いてみると、中国地方の某県の出荷だという。まさか、いくらなんでも、と思いつつ尋ねると、やはりハウスものであった。しかし、ハウス設備は安くない。たかが菜の花ぐらいで引き合うのだろうか。露地物に対抗できるのだろうか。そこで、更にお店のヒトを問いつめる。

要はこうだ。房総の最南端あたりでは、確かに、すでに露地物が採れるという。当然、中国地方のハウスものより安いという。しかし、ハウスものは露地物に比べ、柔らかくて甘いという。そこで、お客様の好みが重要になってくる。房総の露地物は食べて頂けないんだそうです。最近の若いコは、柔かつ甘でなければ、菜の花と思ってくれないらしいんです。旬の味がシフトにシフトを重ねると、こんなことにもなってくるのでしょうか。

さらに驚愕、すでに新ジャガも出回っているとか。こいつはもっと西の、長崎あたりのハウスものらしい。もっとも、北海道出身者は、絶対信用しないとか。プライドもあるでしょうしね。
2002/02/03(Sun) 晴れ


[ 弁別 ]
とにかく忙しい一週間だった。あっという間に過ぎてしまった。特に、木・金の両日は、朝9時から夕5時まで、密室で完全拘束のうえでの作業、という丁寧さであった。片隅にお嬢さんがいて、お茶ばかり持ってくるものだから、自動お茶飲み機になったような心境である。お昼も、同じビルの別の部屋で、ハコ入り弁当が支給される。木曜日は少々遅い時間だったので、もう、そんなに混んではいなかった。何疑うこともなく、差し出された弁当とお茶を受領し、その三分の一ぐらいを食べた。こんなに残して申し訳ない、という後ろめたさは若干あった。しかし、間もなく満6ヶ月になる我がダイエット道に免じて、許してもらおう。翌日の金曜日は、要領も良くなったので、結構早く弁当会場に着いた。したがって、かなり混んでいる。ここで、この弁当システムの全容が判明した。何と、弁当は三種類あったのだ。各種類ごとに山積みにされている。各種一箱が開けられ、ラップを掛けられたものが、サンプルとして、ヤマの手前側に置かれていた。

この三種類の弁当を、仮に、A、B、Cとする。(数学の問題じゃないよ。)大きさでいうと、A=大、B=大、C=小である。これが大きなテーブルに、入り口に近い方から、A、C、Bの順で、積み上げてあった。これが設営者側の大きなミスであった。大多数の人が、AとBの内容を比較し始めるのである。Cは、そのサイズゆえに、最初から検討の対象にならないようだ。Aにはエビフライがあるが、あれがなくって、Bにはミニハンバーグがあるが、これがないので、とかやっている。ご飯とおかずの比率とか、絶対重量とか、様々なパラメータがアタマの中を渦巻く。もっと凄いヒトは、カロリー・栄養成分・塩分量・飽和脂肪酸量計算なども暗算で・・・まさか・・・。この比較をする人は、AとBの間を、最低2往復はしているようなのだ。このために、入り口付近がごった返してしまうのである。明○市の花火大会ほどではないが、主催者・設営者側の問題認識の甘さが原因、と、事故調査委員会に指摘されても仕方ないことだと思われた。

テバなんかは簡単である。Cしか選びようがないのだから。ただ、AとBとの間を右往左往する人々を、掻き分けなければならない。億劫だ。
2002/02/02(Sat) 晴れ