【「世界の歴史」より】

スラヴ人は、いわゆるウラル−アルタイ語族の多数の遊牧民とゲルマン人との中間、ちょうど今日の中央ロシアの平原に住んでいた。この地理的位置からして、彼らは南東と北西の両方からたえず攻撃されるよう運命づけられていて、ながく忍従の歴史を経験しなければならなかった。ある場合には何千もの人間が殺され、また他の場合には、何千もの人々が捕虜となり奴隷に売られた。そのため、元来は「言葉」または「川」という、とりたてていうほどの意味もなかった明色(ブロンド)の髪と碧眼のこの民族の名は、いつしか、奴隷を意味する言葉となったのである。

ボルガの船曳 1873】