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☆- カリタンタン -☆

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[ 化粧を捨てよ海へ出よう ]
華やかなステージで大向こうを沸かせる。これも、一応楽しい経験ではありましたが、やはり海の男のいるべき場所は海です。化粧を落とし、慣れたボロに着替え、今度の土曜日は海に還ろうと思います。ベテラン船長の予測では天気晴朗とのこと。折しも潮は若潮、ガンバルぞ。
2001/01/31(Wed) 晴れ


[ 凱旋 ]
テバの眼前にあるのは、1919年7月14日の、パリ凱旋門前のモノクロ写真です。中央には、ジョフルとフォッシュ、二人の元帥の騎乗の姿が見て取れます。後ろには、あの困難な戦(いくさ)を、共に戦い抜いた参謀達と思われる人々が続きます。路傍には、リベルテ・エガルテ・フラタニテの象徴たる、あの三色旗が林立しています。

彼らはマルヌの会戦で、ボッシュ(ドイツ人)に決定的な打撃を与えたのでした。第一次欧州大戦のクライマックス・シーンです。小柄なジョフル、体躯雄大なフォッシュ。そうした差はありますが、二人の周囲には、「ラ・マルセイエーズ」が轟きわたっていたことでしょう。フォッシュは、微かに首を傾げています。ジョフルは、毅然と前方を凝視しています。

そうです、凱旋です。戦庭(いくさば)に赴くことは、男の義務です。それを励ますのは、銃後の人々の思いやりです。しかし、誰が凱旋し、誰が帰らぬ人となるのか、それは出陣のときに判ることではありません。判らないからこそ、出陣を励まし、凱旋を祝すのです。そして、凱旋した人々こそ、全ての栄光を一身にまとうのです。

   …………

というわけで、大変気分の良い一日でありました。金曜日の夕方は、「明日は頑張りましょね」、程度でありましたが、本日は朝から、トロフィー・賞状の見学者が、門前市でありました。
2001/01/29(Mon) 晴れ


[ 二見情話 ]
本島の北都・名護のさくら祭りに行って参りました。主目的は二見情話大会への参加です。これはデュエット曲です。全部で15組が出場しましたが、男性の内訳でみると、ウチナンチュ12組、ヤマトンチュ3組です。ヤマトンチュには当然、島言葉(しまくぅとぅば)に対するハンディがあるわけですが。

さくら祭りのメインイベントということで、いやはや、大変な観客です。ベースから来た米兵らしいのも結構いました。七五三以来の装束(薄化粧つき)で、怪しいウミンチュ風の中年が一名誕生いたしました(後日写真発表予定)。

おかげさまで、三位に入賞いたしました。一・二位はもちろんウチナンチュでありました。一位は二見在住のご夫婦(ほほえましい)、二位は三線の先生(セミプロ!)でありました。三位とはいえ、ヤマトンチュの面目を保つことができました。

トロフィーを囲んだ打ち上げも終えて、那覇に帰ってから気づきました。桜を見るのを忘れた。

http://www.yanbaru.ne.jp/~nago/event/event01_01-2000.htm
(2000/8/31の一位副賞ハワイ行きは誤報でした。テレビ他でありました。三位は皿洗い機他。)

2001/01/27(Sat) 曇り


[ 東御廻い ]
初詣というわけではありませんが、東御廻い(アガリウマーイ)に行って来ました。本島南東端の、佐敷、知念、玉城を中心とする、異次元ワールドです。時々小雨でしたが、そのせいもあって、神秘の森の趣はひとしおでありました。御嶽(ウタキ)、グスク、ニライカナイ、アマキヨミ、……、古代沖縄の幻想に、たっぷりと浸ってきました。

ダバダーのお兄さんの家もありました。
2001/01/25(Thr) 雨


[ というわけで ]
旧暦、明けましておめでとうございます。

糸満では、漁船に大漁旗を飾り、三が日は休漁です。しかし、本日は、最高のベタ凪ぎの一日でした。しかも大潮。絶好の海日和です。プロの世界も厳しいものです。我慢、我慢!
2001/01/24(Wed) 晴れ


[ 大晦(おおつごもり) ]
本日は、嘉利吉の国のおおみそか。明日は元旦になります。

大晦日といえば、樋口一葉の「大つごもり」。あれなんか、相当暗かったような記憶があります。今思うと、何でかな〜、という感じです。樋口先生には悪いけど、本日の最高気温24度、の国の出来事ではないでしょね。

そういえば、年越しそば? これもソーキそばを食べるとすると、雰囲気は全然違います。少なくとも、しみじみ感はありません。除夜の鐘があるのかないのか、それはあと一時間もすれば判ると思いますが、何よりも、あってもなくてもよい、のです。

やはり、風土ってあるんだな、と思います。
2001/01/23(Tue) 曇り


[ 大歓迎 ]
関東に帰ったら、雪の大歓迎でした。
今年も、ついに、雪を見てしまいました。

 嘉利吉の 島偲べとや 雪景色
2001/01/20(Sat) 雪


[ 近日釈放 ]
もうすぐ単身三年の刑が明けて、内地に帰れそうな(と信じている)ヒトがいます。ガキっぽくて、オトナげないけど、その人とのやり取りです。

B「帰るときには、沖縄は良かった、ってみんな言うようだけど、本当はどうなのかな?」
テ「どうして?」
B「だって、誰にとっても良かったなんて、あり得ないじゃない」
テ「なるほど。で、あんたは?」
B「オレはさ、一応は良かったけどね」
テ「それでいいんじゃない。本当はどうか、なんてどうでもいいんじゃない?」
B「でも、ありえないことだよね。あらゆる内地人が、ここは良かったなんて言って帰るなんて。」
テ「ここの人達って、みんないい人ばかりじゃないの?」
B「そうかなー、そうでもないと思うけど」
テ「鏡だよ」
B「それってどういう意味?」
テ「相手に見るのは自分の姿なんだろ? 綺麗な鏡ほど、自分がはっきり写るんじゃない? …………
2001/01/16(Tue) 曇り


[ 初竿断念(7:30) ]
すっかり支度を整えて、待つこと1時間。低気圧通過のため、船長の判断により、出港断念。無念。残念。

冬の東シナ海は、やはりきびしかった。
2001/01/13(Sat) 雨


[ 師匠の年末年始 ]
ともかくも釣り三昧だったようです。はっきり言わないのですが、4〜5回は海に行った様子です。元日にすら、息子に初日の出を拝ませ、奥さんの実家の「おばぁ」に初物を、とかなんとか言い訳して、チヌ釣りに行ったようです。弟子の急追にあせっている、と見るのは穿ち過ぎでしょうか。
2001/01/11(Thr) 雨


[ 南海の陰謀? ]
どうも暖房がききすぎる。ウチナンチュに訊いても、「こんなものでしょね」と、スズシイ答えが返ってくるだけである。話にならない。そこで、昨年の同じ頃こちらに来たヤマトンチュに、暑くはないか、ときいてみた。彼も暑いという。その上で、恐ろしい話をしてくれた。なんと、一年のこの季節に、家で冷房をかけて寝ている人が結構いるというのだ。なぜだ、どうしてだ、どうなっているんだ??

推理を深く進めた結果、次のような驚くべき陰謀の存在を確信した。すなわち、「全地球亜熱帯化計画」、略して「全亜化プロジェクト」である。よーするに、CO2をじゃんじゃか排出し、地球規模で温暖化を促進するのだ。成功の暁には、嘉利吉ピープルにとっては、地球上のあらゆる場所が、快適な気候となっていることであろう。寒い地方の人は、暑さに特に弱い。三十度近くなると、頭が働かなくなるという。そうなったら、世界制覇も思いのままだ。

おそるべし、南海の陰謀。それは着々と進みつつあるのだ。あー、暑いゾッ!
2001/01/10(Wed) 曇り


[ アヂッ ]
なんて無茶苦茶な暖房を、と思い、女の子に文句を言います。

テ「暖房何とかしてよ」
子「すいません、これ以上強くならないんです」
テ「ちがうー……ーっ! 暑いんだよ」
子「えっっ、そうですか?」
テ「何とかしてよ」
子「すいません、これ以上弱くならないんです」
テ「んっ、てーと、要するに、全然調節できないのね」
子「ハイ」

……CO2問題などに罪の意識も感じつつ、独立型のエアコンがあったのをよいことに、こっそり「冷房・弱」をかけさせていただきました。午後一杯、温暖前線と寒冷前線が、身辺で渦巻いていました。関東軍に二週間出張しただけで、早くも、ヤマトンチュに戻っていたのでした。
2001/01/09(Tue) 晴れ


[ 復帰 ]
極寒の関東軍から、嘉利吉の島に復帰いたしました。
17:00現在、気温20度……by パ○ソニック
2001/01/08(Mon) 晴れ


[ そうしたもののことだったとは…… ]
世紀の変わり目って、昔地学で習った断層みたいなものだ、とずっと思っていた節があります。

実際通過してみると、何ひとつ不連続現象はありませんでした。TVも新聞も身の回りも。ちょっとがっかり、ちょっと安心。歴史年表を作るヒトも、世紀の境目に線を入れたりするのは、止めましょう。表示精度もあげて、少数以下2ケタとしたらいいでしょね。たとえば今年は21.01世紀とか。あ、これじゃ年号とあんまり変わらないか!

兎も角、あけましておめでとうございます。(それにつけても亜熱帯が恋しい)
2001/01/01(Mon) 晴れ

My Diary Version 1.21
[ 管理者:テバ 著作:じゃわ 画像:牛飼い ]