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☆- カリタンタン -☆

>> 2001/07

[ ちゃーなぐりさよー ]
昨年、やってきたばかりの八月の沖縄は、台風に明け暮れていたような気がします。それに引き替え、今年は、一部を除いて連日の晴天でありました。テバの職場の窓から慶良間の島々が見える晴朗な日も、たくさんありました。水平線の島影と前面の海、その上に広がる空・・・こんな日には、何か良いことがあるような気がするのです。子供じみてますけどね。

沖縄の空の色、それは、ラピスラズリのウルトラ・マリンからインディゴ・ブルーへ、そして宇宙の深部にまで続いているようなダーク・ブルーへと移り変わる、不思議な不思議な色です。見る者を、時に茫然とさせ、そして、時にもの悲しい思いに誘います。海や雲は一目で好きになりましたが、最後に、そして一番好きになったのがこの空の色でした。

さて、お別れの時がきました。テバは、任を解かれ、この嘉利吉の地を離れます。

  私はよそ者としてやって来た
  そして、よそ者として去っていく
   ………
  今、世界はどこまでも昏い
  そして、道は雪に覆われている

                「冬の旅」より

いえいえ、そんなことはありません。これからは、どこにいても、沖縄のことを考えさえすれば、そこの地と、そこにいる友人たちのことを思い出すことができるのですから。ちょうど、狐のルナールが、黄金色に稔る小麦畑を見さえすれば、星の王子様のことを思い出すことができるように。

そうそう、今まで内緒にしていましたが、最近、三味線(さんしん)も始めていたのです。これからは独習ということになりますし、簡単なものしかできないことでしょうが、もう一つ、思い出を増やすことができました。短期間でここまで引き上げていただけたことに、関係の皆様には心から感謝を申し上げます。

あのことも、このことも、皆さん、本当にありがとうございました。

ちゃー嘉利吉どー!
2001/08/31(Fri) 晴れ


[ 初物 ]
ヤンバルの方から、皮がまだ青々としている、初物のミカンが届く季節になりました。この緑色のミカンというのは、テバの育った関東地方では、秋の運動会シーズンの風物詩でありました。もっとも現今、運動会のシーズンも、ミカンの季節感も全然違ってきているようですがね。初物のミカンについて、「2・3・4」という話を聞いたので、書き留めておきましょう。実話のようです。

Aさん、Bさん、Cさんが順に現れて、置いてあるミカンを食べて、感想を述べたということです。

 A「にーさん」

 B「さんがちゅーさん」

 C「しーさん」

つたない訳ですが、テバの理解するところでは、ヤマトゥクゥトゥバでは、次のようになりそうです。

 A「熟し方が足りない」

 B「酸味が強い」

 C「渋い」
2001/08/27(Mon) 晴れ


[ ションカネー論争(新・竜田川) ]
モノの本によれば、琉球民謡にはションカネーとういう語のつく歌は類似曲が七つあり、いずれも別離の悲調であるという。沖縄本島、八重山の竹富・与那国、宮古の多良間などに分布しているというが、奄美にもあるらしい。シヤウンガナイ、ソンカニー、ションガネー、スンカニ、シュンカニなどと、微妙に変化する。特に、与那国ションカネーは、トゥバラーマと並んで、八重山民謡の情歌の双璧とされる。柳田国夫は<上方で歌われていたションガナエが水上を往来する船人達の手で各地の各湊に伝えられたもので、北は奥州のサンサ時雨の相の手となり、南は与那国のションガネ節となった>と述べているが、詳細は不明なようである。博多の「博多いわいめでた」などにも囃し言葉として登場している。

このションカネーという言葉に意味があるのか、あるとすればどんな意味なのか。最近、与那国ションカネーを巡って、論争が起こった。単なる囃し言葉とすれば、特に意味はなく、柳田説のように外来のものである可能性もある。意味があるという方には、大きく二つの説があった。一つは「仕様がない」、つまり諦念だというもの。もう一つは、カネーの原義を「愛し(かなし)」とするものである。双方とも譲らないのがこのテの「論」の特徴であるが、そうこうしているうちに、第三の説が登場してしまった。これは、歌うときに拍子を取るための銅製の鐘で、八重山地方に伝わるものらしい。細い竹で叩くと、哀愁を帯びて響き、別離の悲しみを表現するのに適しているという。

テバはもちろん、第一の説に与するものである。なぜなら、あとの二つの説は、「愛し」や「鐘」の部分は説明できていても、それでは前半の「ション」とは何か、という重大な問題を残してしまう。まさか、別れを惜しみつつ浜辺で見送っている、女性の名前じゃないでしょうね。ションカネー。
2001/08/25(Sat) 晴れ


[ 那覇空港のソバの怪 ]
若干思うところあり、食餌制限など始めたため、レストラン、食堂、ケーキ屋、食品売り場のたぐいは睨み付けて通る今日この頃である。昨日、東京行きの便を搭乗ロビーで待っている時も、コーナーにあるスナックを、フンという気持ちで眺めていた。さすがは那覇空港で、沖縄そばとソーキそばがメニューにある。沖縄そば600円也、ソーキそば650円也か、フン・・・ン、まてよ、何か変だぞ。

早速、那覇に帰ってきた今日、ムック版「実践沖縄そばGRAPHY」をひっくり返してみた。全100店中、沖縄そばとソーキそばが両方掲げてある18店について、厳密な統計を取ってみた。その結果、両者の価格比は、1:1.398と出た。数学に弱い人のために解説すると、ソーキそばは、通常、沖縄そばの約4割増しの価格なのである。

空港の場合、沖縄そば600円が基準になるとするなら、ソーキそばは、複雑な計算過程は省略するが、840円位になるはずだ。逆に、ソーキそば650円を適正とするなら、沖縄そばは460円位でよいはずだ。ちなみに18店の沖縄そばの平均価格は447.5円である。

搭乗ロビーの店という排他独占性を考慮すると、沖縄そばがあのように高くてもよいのかもしれないが、そうすると、ソーキそばが安すぎる。ソーキそばがあの値段で提供できるなら、沖縄そばが高すぎることになる。この背景にある経営者のマインドは、はたしていかなるものなのか。謎は謎を呼ぶのである。

ダイエットは、ブタを哲学者にする。
2001/08/24(Fri) 晴れ


[ ちんだみ ]
三味線(さんしん)の調弦のことでしたね。サンシンは、上の方から、「うーづる(男絃:一絃)」、「なかづる(中絃:二絃)」、「みーづる(女絃:三絃)」でできています。本調子の場合のちんだみは、まず、みーづるを高音のC(ド)に合わせます。次いで、なかづるをファに、うーづるを下のドに、と合わせてきます。三絃から一絃の方に向けて弾いてくると、高音→低音の順で、「足らん、足らん、足らん」と音が出るそうです。みーづるは庶民、なかづるは士大夫、うーずるは国王を表しているので、この順で「足らん」の文句を言ってくるとか。

ところで、この方法によるちんだみは、初心者にとっては、とんでもない困難な技なのです。工工四(クンクンシー:譜面)一日、ちんだみ十年、ということにもなりかねないのです。そこで、テバは全く別の方法をお奨めします。ギターのようにやるのです。一弦をC(ド)に合わせ、そこでファ音を押さえ、二絃をこれに合わせ、二弦で一オクターブ上のドを押さえ、三絃をこれに合わせる。これで終わりです。十秒でマスターできます。ちんだみが問題だと言われていたKさん、あなたもこれでやってみたら? あ、あのちんだみは、歌のほうでしたね。失礼。
2001/08/22(Wed) 晴れ


[ カンムリワシの紋章 ]
チャンプGシリーズです。質問者は例によって、ヤマトゥの無知な記者です。

 記「Gさんのお宅の家紋はどんなものですか?」

 G「コンクリートブロックです」

 記「・・・???」

わかりますよね、これは。

ではもう一発、「カンムリワシの伝統」編。チャンプGがまだ高校生の頃、インターハイで好成績をあげたときの記者会見です。

 記「○○高校の伝統といったら、どんなものでしょうか?}

  (チャンプG、しばし上を見上げて考える)

 G「やはり、ほとんどが、蛍光灯じゃないでしょうか」

栴檀は双葉より芳し。今回は、わかりやすいのばかりでした。
2001/08/19(Sun) 曇り


[ ご遠慮ください ]
近所の24時間営業スーパーの造りだが、レジを出たところに雑誌コーナーがある。フロアーのこのあたりは、店の規模からすると比較的狭くしか取っていない上に、客の買い物整理場にも隣接しているため、一番混雑しやすい場所になっている。そのためか、○○スーパー××店当局としては、対策を講じることにしたらしい。売り出しの広告チラシの裏を使ったビラが貼ってあるのである。

 −−−−−−−−−−
    雑誌の
 立ち読み・坐り読みは
  ご遠慮ください
 −−−−−−−−−−

う〜ん、確かに近頃の若者はジベタリアンが多いらしいから、立ち読みをご遠慮願っただけではダメなんだろうな。坐り読み、これは立ち読みの何倍もの邪魔になるに違いない、などと、かねがね感心していたのである。が、昨日は急に、「ご遠慮ください」の方が気になり出した。スーパーの床に坐って雑誌を読むような人間は、果たしてご遠慮なんかするんだろうか、と。
2001/08/16(Thr) 晴れ


[ カンムリワシのミカン ]
カンムリワシと言えば、沖縄が生んだあの偉大なボクサーGのことです。世界タイトル防衛13回という、空前の記録の持ち主ですね。ところが、彼の偉大な面がもう一つあったのです。それは逸話の主人公として登場するGさんです。それも一つや二つではなく、どうも膨大な数の逸話が、巷間出回っているらしいのです。丹念に集めれば、立派なアネクドート集が一冊編めるぐらいじゃないかと思うのですが、まだ見たことはありません。ただ人伝てに聞くばかりです。なかには、作り話の主人公として、Gさんが無断使用されることもあるらしいのですが、逆に、Gさんが主人公になっていると、話の迫真性が増すというからややこしい。

「うみあっちゃー(漁師)編」とか「くすまやー(--;)編」とか、とにかく数限りないらしいのですが、ヤマトゥの人間に判りよいものとして、「ミカン編」というのがあります。記者会見でヤマトゥの記者が、月並みな質問をします。

 記「沖縄と言えば海ですが、ウミというと何を連想しますか?」

 G「ミカンです」

 記「・・・???」

実は、私も最初はわからなかったのです。で、種明かしを聞いてびっくり。Gさんは尻取りをやっていたのでした。これは正真正銘の実話らしいのですが、でも …… とするとですよ、この勝負、いきなりGさんの負けですよね。初回防衛ならずです。しかし、これに気づいている人は意外と少ないのです。

(^_^)y-゜゜゜
2001/08/15(Wed) 晴れ


[ どぜう豆腐 ]
幻のというか、伝説のというか、あのドジョウ豆腐の、ほぼ完全なレシピができあがりました。ドジョウ豆腐というのは、ドジョウと豆腐を同じ鍋に入れ、火に掛けるものです。だんだん熱くなるにつれ、ドジョウは豆腐の中にもぐり込む。そして、その状態のまま煮上がったものをいただくというシロモノで、ホラだ、ウソだと言われることも多い一品であります。これを実際に食べ、作っていたという沖縄の方に巡りあったわけです。沖縄の方がなぜ知っていたのかというと、子供のころ、K県のU地方に疎開をしていて、そこでの実体験だったということです。

実は、相当以前ですが、わざわざ築地まで材料を買いに行って、これを試したグループを知っているのです。ただ彼らの場合、数々の試行はすべて失敗に終わっていました。そのため、テバも、この料理は眉唾モノ、とつねづね考えていました。しかし、ポイントはありました。ドジョウの選び方、前処理の方法、使用する鍋、水のはり方、………、等々です。ポイントを外さなければ、確実にできるのだそうです。これらのポイントで、かのヒマ人グループが行っていた方法をチェックすると、彼らは、失敗すべくして失敗していたのだ、ということもわかりました。

あとは、近い将来の実行を期するのみです。なお、当時、その方が実際に食べた際の感想はといえば、「かわいそうだが、おいしかった」、だそうです。
2001/08/14(Tue) 晴れ


[ 納豆の窓から ]
沖縄のヒトは大部分、納豆を「腐れ豆(クサリマーミー)」とかいって敬遠するようですね。ただし、ヤマトゥンチュのくせに島歌を小器用に唄ったりするのがいると、「なっとー!なっとー!」と言って、激賞してくれます。ヤマトゥンチュだからといって、誰もが納豆好きなわけではないんですけどね ・・・ と思っていたら、これは聞き間違いで、「なとーん!なとーん!」とおっしゃっていたようで、「できた!できた!」という意味のようでありました。「成とーん」でしょうか。丁寧語の「なとーんど」の方で言ってくれていたら、こんな誤解もなかったんでしょうが。
(誰が?)

私達が滅多に聞かないのに、「りか」という言葉があるようです。「離か」とでも当てるのでしょうか。まれに耳にするのは、丁寧語の「けーみそーら(帰りましょう)」の方です。ところが、こうしたことは本島あたりの話で、八重山では「おーら」と言うようです。「往ら」、かしら? しかしながら、更に、これを逆に本島に持ってくると、「喧嘩するか!」ということになる、というから厄介ですね。相当飲んだあとなんかだと、訳のわかんないうちに、ホントの喧嘩になっちゃうかも知れません。誤解はヤマトゥンチュの専売ではないようで、やや安心。
(だ・か・ら、誰が!?)
2001/08/11(Sat) 晴れ


[ 師・師匠・・・の教え・・・って ]
過日、お師匠様におかれましては、海に出られたらしく、しかもなかなかの大漁であったそうです。一番弟子としては、ご大慶の至りです。で、後日テバには、一枚の絵図面をご下賜くださいました。その内容は、「絶対釣れる!大物狙い、流し釣りの仕掛け」というものでありました。何でも、同行の釣人に、毎回絶好調な方がおられるので、その仕掛けをこっそり写し取ってきたものだ、ということです。詳細はマル秘ですが、いわゆる胴付きの2本流しです。が、これを見たテバは、愕然としてしまったのです。

かねてより尊敬するお師匠様が、産業スパイの真似事をしたことについて、ではありません。こんなことは、海のギャングなら、誰でもやっていることです。愕然としたのは、その仕掛が、常々ご指導いただいている内容と、余りにも懸け離れていたからです。第一に、ハリスが4号ほど違います。鈎に至っては、5〜6号も違うのです。こうした点について、当然の疑問として、即座にお尋ね申し上げたことは、言うまでもありません。お師匠様、即答されて曰く、「これで絶対釣れるって!大丈夫だって!」

師・師匠・・・そういうことじゃないのです。それはそれで良いのです。しかし、テバが過去10数回の釣行で使わせていただいた、お師匠様直伝の秘伝の仕掛けなるモノ、あれは一体なんだったんでしょうか。私は、東シナ海の船上で、繰り返し・繰り返し、何をしていたというのでしょうか。

(なお、お師匠様におかれましては、その後の釣行でこの新型の仕掛けを使用され、海のコンディションがあまり良くない中、船内の大漁賞をものされたようです・・・瞑)
2001/08/09(Thr) 晴れ


[ 特別寄稿あり ]
以前、本欄でもご紹介しましたが、畏友・頭光さんが、源河川(ジンカガーラ)のわらべ唄の調査をしてくれたことがあります。このたび、その際の調査の模様や、それに関連したことを取り纏めて、報文にしてくれました。題して「ジンカガーラ(源河川)の謎」です。NEOテバコラの方に掲載させて頂きます。大作です。

そういえば、本欄があるため、NEOテバコラの方面が手薄になっておりました。頭光さんには、感謝申し上げます。
2001/08/08(Wed) 晴れ


[ 地獄の窓から ]
アンドレ・ヴァルノによれば、中世貴婦人の服装は、下着(シュミーズ)の上に袖なし上着(コット)を着、その上に長上着(スュルコ)をまとうというものであったという。まず、シュミーズとコットの豪華さを誇示するため、スュルコの袖が外された。しかし、これでは不足とばかり、スュルコに穴を開け、下のコットが見えるようにしたという。こんなうまい手があるならと、次いで、シュミーズがよく見えるよう、コットにも穴を開けた。そして、ついには、肌の白さもよく見てもらえるようにと、シュミーズにも穴を開けてしまった。この一連の穴は、「地獄の窓」と呼ばれていたらしい。だが、今から見れば、まあ、かわいい部類のお話ではあります。

一年経った今日このごろは、ヤマトゥンチュが簡単に見分けられるようになってきた。中で一番目立つのは、リゾートホテルやプライベートビーチなど、元来、特殊な結界の内側だけで許されていた服装や行動を、この沖縄の一般(日常)社会の中に、堂々と持ち出してきている若者である。サンダルつっかけの短パン姿に、上半身ハダカという出で立ちで、喫茶店に入ってきた若い男を見かけたことがある。国際通りのヤマトゥの娘達はといえば、これはもう、地獄の窓どころか、地獄の一丁目みたいな格好で闊歩している。本土より沖縄の方が涼しいこの季節だというのに・・・いずくのあたりなるネジやタガをぞ外してやありけむ・・・である。

ありえないことだが、もしも、万一、ウチナンチュが、ヤマトゥで同様な結界破りをしたら、大騒ぎになりますね。いやいや、ヤマトゥンチュがやっても、ヤマトゥでなら問題になりますよ、間違いなく。
2001/08/05(Sun) 晴れ


[ 山原船(U) ]
まず、ヤンバルブニなんて呼んだことはない、ずっとヤンバルセンだった、とのキツーイ抗議を一発いただきました。半角通症候群がまだ残っているようです。申し訳ありませんでした。

で、お話はマーラン船のこと。「馬艦船」とアテることもあるようです(再びお叱り覚悟)。これは中国の福建あたりのジャンク船の、縮小デッドコピーのようです。特に、船首部分を高くして、外洋の荒波を乗り切るようになっています。これは、アメリカまで行ったという、バイキングの船と同じ構造原理ですね。で、更に、ジャンク船はといえば、インド洋、ベンガル湾を中心に活躍していたダウ船から、相当な技術移転をして来ているようです。海のシルクロードが、マラッカあたりで二分され、西がダウ主流、東がジャンク主流ということです。そしてその東縁、つまり福建から琉球にかけてを、マーラン船が受け持ったということです。もっとも、時代的にはずっと下るようですが。

これで、ヤンバルブニの件は、お許し下さい。
2001/08/02(Thr) 晴れ

My Diary Version 1.21
[ 管理者:テバ 著作:じゃわ 画像:牛飼い ]