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☆- カリタンタン -☆

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[ 山原船 ]
今日から表紙を走るようになったのは、ヤンバルブニです。一般的にはマーラン船というようで、古くは、先島と本島の間も結んで、物資の輸送に大活躍をしていたようです。明治期は、本島の北部(ヤンバル)から薪炭などの林産品を、逆に、中南部からは泡盛などの生活必需品を運んでいたようです。
2001/07/31(Tue) 晴れ


[ なりやまあやぐ ]
「なりやまあやぐ」は、宮古の教訓歌だそうです。

 サ− なりやま(海山)や 慣りてぃぬ なりやま
 そぅみやまや 染ぅみてぃぬ そぅみやま
 サ− なりやま んみゃいすてぃ なりぶり さますな 主(シュウ)
 そぅみやま んみゃいすてぃ 染ぅみぶり さますな 主

(大意:慣れて染まってこそ、その良さがわかるのが海山だ。しかし、行ってもあまり夢中になるものではないよ。あまり染まり過ぎないようにしなさいよ。)

このあと、馬の選び方、美童(みやらび=こちらでは、若い娘さん)とのつきあい方、など、大変貴重なご意見の集大成であります。テバにとっては、海の教訓だけでも、結構ずっしりと来ます。
2001/07/29(Sun) 晴れ


[ 工場見学 ]
T常務の会社の工場を見学させていただきました。タイ米の仕込みから始まって、黒コウジの製造、モロミ発酵と順を追っていきます。工場の中の暑さといったらありません。そして最後にランビキ(プレートにはstillと記載)から、透明な泡盛が蒸留されてきます。度数は53度。工場を出た途端、30度超の外気が涼しく感じられました。
2001/07/27(Fri) 晴れ


[ かたぶい ]
東京では、久しぶりに雷雨があったようですね。お湿り、おめでとうございます。サンダー・ダンスは踊りましたか?嘉利吉の島では、こういう珍しくてめでたいことがあると、人々は必ず、通りに繰り出して、カチャーシを踊ります。三線(サンシン)や太鼓も出てきます。ヤマトのヒトは内気だから、あまりやらないでしょうかね。

ただ残念ながら、こちらでは、スコールはそれほど珍しいことではありません。高いビルなどから眺めていると、青空とスコールの雲が、空をくっきりと分けているのが見て取れます。地上の状況から「かたぶい」というようです。「片降り」ですね。「馬の背を分ける」と同義でしょうが、かたぶいというのも、結構、実感の湧く言葉ですね。
2001/07/25(Wed) 晴れ


[ おばぁ倍増 ]
エレベータを、昇降のいかんにかかわらず停めてしまう、あのおばぁが二人になっていた。
2001/07/22(Sun) 晴れ


[ 半角通 ]
サンピン(香片)茶のお買い得なのを求めて、国際通りの、あるお店を覗いたわけです。ここには、ゲージツ的で、結構お高い陶器などもズラリ、と並んでいました。その中に角皿・ウン千円也、というものもありました。ただ、「ツヌザラ」にしてはおかしいのです。四角い灰皿のような形状をしているうえ、何よりも大切な、把手(これがツノの名の由来)が付いていません。(NEOテバコラ「お通り功罪考」参照)

うーん、とんでもない変種もあったものだ、と、感銘しながら眺めていました。ただ、これに泡盛を入れても、縁が高すぎるので飲みにくそうです。まあ、マス酒のように、カドの方からなら飲めそうですが。いろいろな謎に満ちたツヌザラではありますが、このまま帰ってしまっては、文化人類学者・テバの名が、泣くというか、すたるというものです。恥を忍んで、思い切って聞きます。まず、第一問。

テ 「このツヌザラは、どこの島のものですか」

女 「ああ、このカクザラですか。これは外人さんの作品ですよ」

ここで、質問は途切れたわけですが、汗だけは、どっと出ました。
2001/07/21(Sat) 晴れ


[ 伊江隆人先生の ]
手描きラベルのボトルについては、以前どこかに書きましたが、総数約10本の限定版だったそうです。ところが、同じデザインを背中に描いたブルゾンが、二着作成されていました。一着は、もちろん、天才・T常務(T専務としておりましたが、複雑な事情がありまして、訂正)が、日常ご愛用になっています。あと一着は何処に………(楽ガキ参照)

ところで、表紙ですが、そもそも(東シナ海)+(マンションのテラスから見た那覇の青空と雲)でしたが、そこへ出所不明の月を加えました。つまり、本当にあった景観というものではございませんので、念のため。
2001/07/18(Wed) 晴れ


[ 干物の追加 ]
まんびか(シーラ)が、ここ嘉利吉の国では、干物にされるらしく、しかも美味(らしい)ことは、以前報告いたしました。ところで、あと二種類ほど、干物の追加ができました。

ひとつはサメです。これはあるかもしれないですね。もうひとつは、あかなーという魚。何でも、毒を持っているヤツらしいのですが、しかしながら、用い方では薬効もあるらしいのです。塩もみをして干すようですが、少量なら薬ということです。関節炎、リューマチに良いようです。
2001/07/17(Tue) 晴れ


[ しりしり ]
それは、何の変哲もない会話から始まった。大元帝国の世祖・フビライが、黄金の国ジパングの存在を知った時も、そのようなさりげない状況だったのかもしれない。ビニールハウスの農林助成金が40%であること。子供の頃、炎天下で重い鉄筋を運ばされたとき、大変な思いをしたこと。しかし野菜は露地物が、栄養的にみて一番いいはずだ、ということ …… などと、話が流れてきたとき、その耳慣れない言葉が発せられた。「露地物はえぐみがあるけど、うぶさーとか、しりしりすれば、食べやすくなるしね」

うぶさー? しりしり? ちょ、ちょっと待ってください、ということで説明を求めた。いずれも調理法であるという。うぶさーについては、何となくイメージができた。もちろん正確とは言い難いが。問題は「しりしり」である。この調理法には、同名の「しりしり」という調理器具が必要らしい。ヤマトに住んでいるウチナーンチュには、入手困難なため、送ってあげることもあるという。しかも、こちらにいるヤマトゥなら、チャンプルーなどでしりしりした野菜を食べているはずだ、という。知らずに食べていた? しりしりを。特段の違和感もなく?

さあ、次は、東洋の富について聞きつけたマルコ・ポーロの出番である。「しりしり」を求める、一大冒険旅行の始まりである。だが、この旅は、あっけなく幕を閉じた。近所のスーパーで売っていたのである。340円也。あまりの簡単さに少々ズッコケたが、もちろん、即購入したのである。実は、まだ使っていない。これで野菜をしりしりすると、一体どんな状態・形状になるのか、胸ワクワクなのであるが、少しでも先延ばしして、この期待感を味わい続けたい、という気持ちもある。それに、最初の野菜を何にするかも考えなくてはならない。(楽ガキ参照)
2001/07/14(Sat) 晴れ


[ トンボ返り ]
一泊一日という感じで、東京に行ってきました。暑さについては甲乙つけがたい、という感じでした。しかし、今回は、セミ(半)ウチナーンチュの、冷静な観察者の目で見てきたのです。沖縄になくて、東京にあって、そしてずっと暑いもの、これなーんだ? 即、正解を開示いたしましょう。それは、「駅」なのでした。

あのアクリルの向こうは極楽、こちら(つまり乗客側)は地獄なのです。小さな穴からお金を渡し、切符を貰うとき、向こう側からヒーンヤリとした風が吹き出してくるのです。普通、お金をあげるヒトが偉い、が常識ですよね、世間では。ところが、駅という所は、お金を受け取るヒトが優遇(冷房)されているのです。

さらに、ホームに立って電車を待っていると、線路から熱気が襲ってきます。ところが、運転手さんや車掌さんは、クーラーのきいた車内に、それこそ一日中、ずっといるわけですね。子供の頃、「何になりたい?」ときかれて、「ボク、運転手さん!」と答えた子、この子が正解だったのでした。
2001/07/13(Fri) 晴れ


[ 琉球語 ]
琉球大学が、「琉球語音声データベース」を公開していました。

http://ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp/

音声があるのは、今帰仁方言と首里・那覇方言ですが、その中には「魚類」なんていうのもあって、結構楽しめます。もう少し分量を増やして欲しい、といううらみはありますが。

必読は「琉球語概説」です。ここでは、琉球語は「日本語を二分する方言」の一方の雄であるとしており、したがって日本語は、「琉球方言(琉球語)と 本土方言(日本語)」から成る、と喝破しています。「本土方言」っていう言い方、なんか気持ちいいですね。

どうも何かある、と思っていたヤンバルの言葉が、実は、その北の与論島、沖永良部島の言葉と仲間であるとか、与那国の異称と思っていた「ドナン(渡南)」は、「よなぐに」からの音韻変化にすぎなかった、などなど、蒙が啓かれる思いです。
2001/07/11(Wed) 晴れ


[ するるー登場 ]
大琉球釣魚図鑑に、するるー(キビナゴ)を載せました。吉備女子あるいは黍魚子とも。柄は小さくとも、仕掛けの餌としては、一番お世話になっていますからね。もちろん、食べてもおいしいという、大変重宝なお魚です。

それにしても、毎日「晴れ」ばかりで恐縮です。聞き回ってみたら、大変なことでした。地元のヒトも、数夏目のヤマトのヒトも、今年の夏はひときわ暑いと言ってます。こちらにお出でになる予定のある方は、ご覚悟あれ。
2001/07/10(Tue) 晴れ


[ 七夕夜釣行 ]
夕日に栄える首里城の赤瓦を背に、いつもの海に向かいます。そう、昨日は夜釣り。そのキャッチフレーズは、「楽して遊んで沢山獲れる」だそうです。こうなると行かない釣り師は、馬や鹿ばかりということになる。気になるのは月齢、15.6、満月です。モノの本には、「新月の夜を選ぶべし、選ぶべし」と書いてあるんですがね。ともあれ、われらが第三共○丸は、いつもとは逆の風景、すなわち落日の東シナ海へと向けて、突き進みます。

やがて満天の星空、見慣れている星座たちが、やけに小さく見えます。そう、それほど空が大きく、星が多いのです。また、ヤマトならミナミの地平を這う巨大なサソリも、空高く昇ると、意外なほど小さく見えます。不思議なことに、赤い満月が、午後8時ごろ、水平線に姿をあらわします。明石標準時との時差の影響は、こんなに大きいのでしょうか。仕掛は天秤、釣果もボチボチあがってきますが、いずれも小物ばかり。なお、ファースト・ゲットはテバでありましたが、アカジンの子供、リリースを迷う大きさでした。

午後11時、このころからピタリと、何もかからなくなります。月もすっかり白くなり、天高く昇りつつあります。それから約二時間、餌のサンマを付けては下ろし、付けては下ろし、といった作業の繰り返しでした。満月現象です。固定アンカーのせいか、トモの方では少しずつ釣果があがっているようです。つまり、アンカー寄りのヘサキにいる我々は「コマセ係り」なのであります。

午前零時、単純作業に飽きた末、標語の一部「楽して遊んで」の実行を決意、泡盛を飲み始める。午前一時、月も頭上へ。しばし、横になる。……(記憶空白)……。午前四時四十分ごろ、帰港。牽牛や織女は、満月に重なったせいで、よく見えませんでした。ま、夜釣りの場合、満月の夜は避けるんでしょうね、普通。
2001/07/08(Sun) 晴れ


[ できた! ]
やや堅苦しい席で、大勢の人を前にして、挨拶をしなければならない、というシチュエーションです。巻紙の原稿なんぞ持たされて、カチンコチンになっている図柄ですね。ヤマトゥーなら、「只今ご紹介に預かりました××です」から始まります。なんといっても、原稿の冒頭にも、そう書いてあるんですから。最初に会場の人々に呼びかけるのは、「みんな元気かー!」とかのロックの公演、「皆さん、お世話になっております」の政治家の挨拶とか、ヤマトでは場合が限定されています。

ところが、ここ守礼の邦では、必ず「みなさん、こんにちわ。………」と始まるのです。もちろん、朝や夜は、それぞれ、おはようございます、こんばんわ、となりますが。原稿には書いてないのですが、ウチナーンチュなら、極めて自然に、例外なく、こう始めるのです・・・・で、これがなかなかできません。今度こそは、と思っているのですが、高いところに上がる間に、コロッと忘れてしまいます。やり抜くには、最初は相当な意志力を要しますよ。疑う方は、何かの機会にお試しください。

今週も、そんな状況に立たされることがあったのですが、実は、できたのです。しかも、「みなさん、こんにちわ」が、ごくすんなりと出てきたのです。うれしかったですね。会場の皆さんは、当然のように、一斉に、「こんにちわ!」と返してくれました。ここで、うれしさ倍増です。昔、NEOテバコラの「テ・デウム」に書きましたけど、これこそが彼らの文化だ、というものに触れることができた感じです。主ヨ、御身ヲ讃エン。苦節一年、思えば遠くまで来たものです。

(´。`)
2001/07/06(Fri) 晴れ


[ 大変・大変、大慌て ]
壁紙を変えて「八重山上布です……青く染めてみました」なんて、優雅にのんびりとやってたけど、それどころじゃないことに気付きました。「ちゅらさん」が、クライマックスに近づきつつあるのです。ここは当然、ミンサーでなければなりません。大慌てで、取り替えました。

なお、当該番組を見ていない、江戸っ子のあなたのための解説です。五つと四つの絣模様の意味は、「いつの世までも、いく久しく」だそうです。ハラの底では信じていない中年ほど、泣かされます。ハイマートロス(故郷喪失者)の悲哀を、強く感じさせられるからでしょうか。

いずれにしても、おばぁと一緒に、「チバリョー、エリィ!」です。
2001/07/05(Thr) 晴れ


[ 比地川 ]
昨日は、炎暑の中、比地川の調査に行ってきました。○○のヒヤ水といいますか、本日は、体中がギシギシですが、比地大滝の景観には大変感動しました。やっぱりヤンバルはいいですね。

 比地川(ヒジガー)橋うてぃ渡りたる
 後る姿(ウシルシガタ)や忘(ワシ)ららん

         −「恋し鏡地」より−

の、比地川でもあります。

嘉利吉の島々には、これといった大きな川はありません。しかし、それこそ全ての川が歌枕、と言っていいくらい、数多くの歌が詠まれています。空、海、山、川、太陽、月、星・・・、そして詩人たちの島です。
2001/07/04(Wed) 晴れ


[ 最後の未知の月 ]
SFではありません。昨年8月に沖縄に来たのですから、8月からアトは、「お久しぶり」でよいのですが、7月は、最後の「初めまして」の月ということになります。

それにしても、天気予報の的中率は、ここんとこずっと100%ですね。もっとも、「晴れるでしょう」と言っておけばいいのですから、易しいのかな?

昨年の変化は、
 【真夏の東京】→【真夏の沖縄】
今回の変化は
 【梅雨の沖縄】→【夏の沖縄】
ということですが、今回の方が、暑さへの適応が遅いのです。これは、年齢とかさまざまな要因もありますが、基本的には
 【真夏の東京の暑さ】>【梅雨の沖縄の暑さ】
ということですね、きっと。先日、那覇で観測史上の最高気温が更新されました。34.1度です。意外の感あり、でした。
2001/07/01(Sun) 晴れ

My Diary Version 1.21
[ 管理者:テバ 著作:じゃわ 画像:牛飼い ]