☆- ホンの幕間 -☆

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[ 大つごもり ]
21世紀冒頭の一年が終わりました。世界も大変だったことではありますが、私(わたくし)的にも大激動・大変動の12ヶ月でありました。嘉利吉の失楽園はありましたが、楽園の記憶に助けられ、ライフスタイルが随分と変わってきています。その結果は、ここ数日の生活を振り返っても、顕著にうかがわれます。

・楽器店に行き、サンシンにも使えるギターピック(最近発見)を買ってくる
・ヘアサロンに行き、調髪してもらう
・またまたユニ○ロに行き、「Mサイズ」のシャツを買ってくる
・暇なときには、サンシンの練習をする(第二弾、安里屋ユンタがもう一息)
・飲み物は、もちろん泡盛

出入りする店の種類からして、以前とは違ってきています。もう、散髪屋なのか床屋なのか、などと悩むこともありません。なんてったってアイドル、じゃない、ヘアサロンですからね。以前にくらべ、心なしか、時間がゆっくりと流れて行きます。この豊かさを恵んでくれた嘉利吉の邦には、感謝でいっぱいです。

さて、来年はどんな年? 辻占は? そうそう、辻といえば、カジマヤーの辻の話がありました。グローバルだのテロルだのといった異界の生き物の仲間は、まだまだ引きも切らないことでしょうね。そう、しばらくは「辻の時代」が続くのでしょう。少なくとも7つの辻を横切らなければならないはずですから。あせりは禁物、です。

それでは、良いお年を。
2001/12/31(Mon) 晴れ


[ 水浴場88選とは? ]
知らないうちに、環境省が日本の水浴場88選なるものを発表していた。沖縄では2ヶ所が選定されていた。たった2ヶ所ということはないと思うし、44分の1というあたりにうさんくささを感じるのだが、ここは百歩譲って耐えることとしよう。東北の宮城、秋田、山形なんかに3ヶ所ずつもあるのも、見て見なかったふりをしよう。大阪がゼロは当たり前だが、長崎県に至っては8ヶ所も選ばれていて、これは全国の1割に近い・・・一体ナンナンダ(怒)・・・

問題は沖縄2ヶ所の内容である。本部町のエメラルドビーチと名護市のブセナビーチが選ばれていた。どちらも巨大リゾートホテルが立地しているようなところだ。庶民が海水浴に行くようなところではなく、ナイチャーがリッチしているようなところだ。いわば極め付きのプライベート・ビーチなわけ。いったい誰がどんな風にして選んだのさ〜〜!、と叫びたくなる。で、そこんところを見てみると、

『都道府県から推薦のあった146の水浴場について、「快適水浴場検討会」において、「水質、自然環境・景観」「環境への配慮・取組の評価」「安全性」「利便性」等の基準に照らして、特に優れた88カ所の水浴場を選定したものです』

と、うやうやしく述べてある。庶民性・大衆性なんか問題じゃなかったワケ、ということが判る。じゃあ、その風俗風の名称の「快適水浴場検討会」とはどんなもんなんだよ、と思って、リストを見ると、快適とか水浴とかには関係ないような肩書きのヒトがズラリと並んでいる。どこかで見たようなかすかな記憶があるのは、女優・岸○キと大学教授・北野○ぐらいである。こんな変な名選になるんだったら、沖縄も推薦権を放棄したほうがよかったと思う。独自企画で、「大琉球ビーチ100選」でもやった方が良かったと思う。本当にお人好しなんだから、もー。
2001/12/28(Fri) 晴れ


[ いなさ ]
出雲大社から1qほど離れた海岸部に、稲佐の浜という海水浴場がある。ここは上の代、高天原から派遣された建御雷神(たけみかづちのかみ)が、大国主神に国譲りを迫った場所ということで有名である。その際、建御雷が「否・然(いな・さ)?」と問うたことからこのような地名になった。古き事の記によれば、大国主の二人の子が相次いで建御雷に降伏したため、大国主は国を譲り、出雲大社に引き隠ることになったという。この場合の高天原は、現在の韓半島のどこかにあったと考えられている。シンガポールの陥落に際し、山下司令官が英将パーシバル司令官に無条件降伏を迫った言葉も、「イエス・オア・ノー?」である。政軍事の世界というものは、究極のやりとりにおいて、似たものがあるようだ。

不審船のことである。倭の側は「きりしま」と「あまみ」が強行接舷をはかったのだが、銃撃をうけて後退、「いなさ」が正当防衛射撃として、約300mの距離から20o機関砲を連射した。不審船は、それこそ秒単位で沈没したという。今回の倭の応えは「否」であったわけだ。問題の不審船は、韓半島から出航したのではないか、というのが現在のマスコミの報道である。とすると、不審船の船名がおぼろげながら浮かんでくる。ためらいながらもズバリ言おう。「建御雷」であったのではないだろうか。今回は倭の側には4巡視船が関係していたのであるが、第4の巡視船は「みずき」だという。「水城(みずき)」とは、白村江の戦いで敗れた天智天皇が、朝鮮半島からの侵攻に備えて大宰府全面に築いた土塁である。
2001/12/27(Thr) 晴れ


[ 有言実行 ]
という訳で、K総理もご愛用という、憧れのチノパンを買ってきました。しかしそこで驚いたことに、裾上げも不必要な、ピッタリサイズのモノがあったのです。これまでであれば、ウェストサイズが最優先であったため、刃傷松の廊下みたいな、やたらと裾が長いものを選ばざるを得ませんでした。これを裾上げしてもらってやっとこさ、という状況だったのでありました。それに引き替え、BMI=22の標準体型の方々は、こんなに簡単にして便利な生活を享受していたんですね。あーっ、くやしい・・・しかし、うれしい・・・過去を怨嗟しつつ現在を歓喜する、という、若干混乱気味なテバなのでありました。

何といっても、家からユニクロの売り場まで、徒歩で3分です。15分もあれば一丁上がりということです。これは当分、クセになってしまいそうです。現に、明日はどうしようかな、なんて考えているんですからね。駄菓子屋に行って買い物することを覚えたばかりの子供、といった心境です。でも安さがウリのユニクロでよかった・・・これがなかったら、着道楽の果ての着倒れになってしまうところであった・・・などと、歓喜を、これでもか・これでもかと増幅しつつ、密かに悦に入るテバなのでありました。もっとも、ここにこんな風に書いているわけですから、密かでも何でもないんですけれど。

それにしても我がダイエット、もはや後退することは許されない局面になってきています。こうした投資を無駄にする訳にはいかないのですからね。

ところで後退に後退を続けていたサンシンの件ですが、やっと「二見情話」が暗譜で弾けるようになりました。所々引っかかりながらですけど、これからは、弾き込んでいくという楽しみができました。これが励みになるんではないか、と、これまた密かに期待をしているわけです。思えば、一年前にこの段階に達していたら、一月の名護の桜まつりでは、もう少しいい成績をあげられたのでは、と、ズウズウしく考えたりもしています。とすると、ひょっとして、あの一等商品のディジタルTVは私のモノになっていたのでは・・・、と、極めて野放図な考えを弄んだりもしています。来月出場されるという噂のSさんに、出場権を譲ってもらおうかな。

ま、そういう馬鹿の考えはこのぐらいにして、練習・練習・練習だ。過去の数次にわたる「再開宣言」の手前、というものもありますからね。
2001/12/22(Sat) 晴れ


[ シルバー?それとも、ウルトラ? ]
ダイエット道に志を立ててより、四ヶ月半がたちました。思えば苦難の道のりではありましたが、おかげで最近は、また、新たな世界が眼前にひらけてきました。そう、着道楽です。体格はMなのに、胴回りの事情でシャツはLを選ばざるを得ないという、情けない状況から脱出できたのです。またこれまでは、ズボンとしか言いようのないものをはいていたのですが、それが今ではパンツと呼べるものに格上げになりました。ズボンはベルトが不可欠、パンツはベルト不必要ということも、やっと実感できるようになりました。つまり、ウェストラインがあらわれてきたのですね。今度の週末には、チノのパンツの超細身(当者比)を買いに行こうと思っているほどです。

「ダイエットは意志の力だよ。キミの意志力を試してみないか?」、これは新たな同志を勧誘する際の、常套的キャンペーンコピーです。が、ある時、突如、逆襲されたのです。つまり、それならタバコをなぜ止めないのか、ということでした。まあ、物事には順序というものがあるのだし、二兎を追うものは一兎をともいうから、……と、当面的答弁をしておきました。しかし更に追い打ちです。「ラ○ク1mg」というのをやっていたのです。これは山口さんちの○恵ちゃんの旦那が、昔CM打ってた赤い箱の軽量版なのです。これをつかまえて、「シルバー・ラ○クですか。それともウルトラマン・ラ○クっていうのかな。1mgですか。これならすぐ止められるでしょう?」

しかし、秀逸なネーミングでありました。いいセンスしてます。こんなことを言われては、もう、止めるしかありません。別のブランドに変えます。JTさんもデザイン変えるかな?
2001/12/21(Fri) 曇り


[ 白鯨再会 ]
何を思ったのか、メルヴィルの白鯨(阿部知二訳)なんかを読み始めた。奥付を見ると「1956年第一刷」となっているから、昔これを読んだのは中学生のころに違いない。大きなストーリイについては、ほぼ記憶の通りであるが、それにしても驚いた。随所に聖書の引用からはじまって、絵画論、演劇論etc、etcが展開されている。他人(ヒト)よりボンヤリしていた当時の中公に、これが理解できたはずがない。本人が言っているのだから間違いないのだ。これでいいのだ。

ところでこの話を、謎の協力者「ひま」さんにしたところ、ナント!、もう一度びっくりした。昔読んだ本を改めて読むことが、最近の中年以降世代の間で流行っているのだという。どうりで書店でも、岩波文庫のあたりが、妙に揃い出していたわけだ。でも、確かに、社会人としての経験がまるでないうちに乱読した本って・・・何だったんだろう、と妙に深く反省させられる。でも、いいっか! 一冊で二度味わえる、新しい楽しみができたともいえるんだから。中年モ亦、楽シカラズヤ。
2001/12/20(Thr) 晴れ


[ 恙無 ]
先刻、妻子(ただし子は1/2)が、米国から無事帰国しました。まあ、よかった、よかった。テロルの嵐吹き荒れる中で、やっぱりやめさせときゃあよかった、と、幾度も後悔したものです。しかし、もはや手遅れ、あとは祈るのみでありました。某トラベルの社長によれば、米国向けの一般観光客は、平年の1/3近くに落ち込んでいるそうです。社長の冬のボーナスはゼロ。それどころか、給与の半額ダウンも検討しているそうです。他人の不幸は蜜の味、このチャンスに皆様もどうぞ。

ま、これも、恙無き帰国のおかげで言えることですけどね。
2001/12/19(Wed) 晴れ


[ 立ち上げる ]
とてつもないサイトの立ち上げに巻き込まれてしまった。ナントカ委員会というのがトップにあって、その下に、カントカ委員会があり、テン・テン・テンときて、そのズーッと下のカンチャラ会議のメンバーにされてしまったのである。何か一つ決めるにも、ピラミッドのズーッと上までお伺いをたてるらしい。決定が返って来るまで、延々と待たされるのである。もう忘れてしまった頃、突如、カンチャラ会議の招集がかかる。この会議には、座長と事務局長がいるのだが、どちらもネット猿やウェブキチとは全く縁のない、いわば、アンチキーボード・平○社百科事典ジェネレーションである。フラットとかいう概念が、いくら説明しても、全く判らない方々である。

まあ、それでもモックアップができた。とりあえず、周囲の皆さまにURLをお伝えして、ご感想・ご意見などを頂いた。早速、

 「つまらん」

 「訳がわからん」

 「死にたくなる」

等々の声が寄せられた。

この最後のコメントには若干の注釈が必要である。表紙の写真が三点あるのだが、紅葉の山はマアマアとして、あとは、雪景色の山と晩秋の夕暮れの山の湖なのである。特に、「山のさみしい湖(ミズウミ)に……」が凄かった。いったい、どの地方の出身者が作ったのかわからないが、死にたくなるような、極めて寂しい・悲しい表紙なのである。「寂寞」とか「寂滅」とか「涅槃」とかの言葉が脳裏に浮かぶ。生きていこうという気力を、根底から打ち砕くような表紙なのである。少なくとも、長の患いの病人には、見せることすら危険なシロモノなのである。嘉利吉の邦から帰って間もないテバには、本当に良くわかるコメントであった。これはどうも、事務局長のご趣味ではないか、と思われたのであったが、いろんなサイトのデザインやレイアウトを心理分析すると、結構面白いのではないかとも思われた。フロイトも仰天の、「サイト心理学」の誕生である。

が、もう、こんなことに関わるのは止めよう、と、密かに誓うテバなのであった。
2001/12/18(Tue) 晴れ


[ 赤○の夜 ]
久しぶりに夜の赤○に行った。何年ぶりだろう。うん、あれはあの大地震の前だったから、そう、少なくとも7年ぶりということになっていたんだ。もちろん、あの当時も今回も、お付き合いで、イヤイヤながら行ったのであるが。コリ○ン系のお店だった。というのは、お客さんが、Dr.Yというコリ○ンであったからだ。釜山生まれのソウル育ちとかで、なかなか歌がお上手だった。ドクターの名に恥じず、大変に品の良い歌い方でもあった。

最近はウヰスキーもブランヂーも、色のついたお酒は極力避けている。あの色はカラメルで付けているんではないか、という噂があるからである。スーパーダイエッター(中内さんとは関係ないよ)としては、敬して遠ざけるに如くはない、ということになる。かといって、泡盛や焼酎がこのテのお店にある訳がない。したがって、ちびちびと水割りをなめるハメになる。で結局、幹事当番としては、店内の観察が仕事の大半、ということになった。

まず、皆さん、もう少し体重を減らす努力をされた方がよいのでは、と感じた。もっとも、あんなにカラメル水をガブガブ飲んで、オードブルをガツガツやっていては、無理かも知れませんが。それと、嘉利吉の国から帰って初めて抱いた印象があった。ヤマトゥって、随分、怒鳴るようにしゃべるんですね。歌うときにも青筋を立てて歌うんですね。う〜ん、それともやっぱ、花の東京、一国の首都で生きて行くには、相当なテンションが必要なんでしょか。

にこにこしながら観察していたら、女の子から「楽しそうな良いお客さん」という評価を貰った。ちょっと得した・・・ような気がした。
2001/12/12(Wed) 晴れ


[ どぜう余話 ]
九州の北部地方出身のHさん、どぜう豆腐シリーズを一読して曰く、「ふんっ、こんなことは、とっくに知っとるワイ」。Hさんは体格も良く、一見、病気とかには全く縁がないヒトのように見えます。ところが実は、年に一回はお腹を壊し、そうなると数日は寝込んでしまう、という奇癖の持ち主です。その度に周りを「鬼の霍乱だ!」といって、大変驚かせています。テバは慣れてますけどね。長くつきあうということは、お互いに気心が知れてくるという良さがある反面、相手に弱点を握られてしまうこともあるという好個の例です。気を付けましょう。さらに今回、つられて白状したところによると、ご幼少のみぎりですが、ウルシやハゼにも弱かったらしいのです。これらにかぶれた時に登場するのが、他ならぬドジョウだったようです。民間療法としては興味深いものがあるので、ここに書いておきましょう。

要するに、生きたままのヌルヌル・ドジョウを、患部の上で転がすという、単純ですが、ドジョウにとっては大変迷惑な方法らしいのです。あるいは、沢ガニを捕まえてきて、すりつぶして患部に塗布する、でもよいようです。いずれにしても、奇想天外な療法です。最初に発見した人は、ノーベル医学賞(皮膚病部門)ものですね。この場合には、

 「かわいそうだが、痒みはとれた」

とでも言うのでしょうか。そういえば、沢ガニは台無しになってしまいますが、ドジョウの方はまだ生きてます。どぜう豆腐は無理でしょうが、そのあと、食材にされてしまったのでしょうか? 今度、聞いておきましょね。
2001/12/10(Mon) 曇り


[ おまじない ]
そのうちに、ディジタル・チューナーがなくても、ちんだみができるようになる……と、うれしいんですが。その日に備えて、おまじないを書き留めておきます。

 ちゃったー もーきてぃん
  たらん たらん たらん

 (どんなに沢山 儲けても
   足りない 足りない 足りない)

三つの「たらん」は、それぞれC、F、Cです。 
2001/12/07(Fri) 晴れ


[ 嘉利吉のブランチ ]
今朝は久しぶりに、牧志の公設市場に立ち寄りました。二階の食堂街に上がり、アバサー汁でブランチです。アバサーは、和名では針千本ですが、本当の針の数は350本ぐらいだそうですね。誰が数えたのか、世の中にはいろいろなヒトがいることです。それよりも、アバサーは、カーハジャー(かわはぎ)と並んで、捌くのが大変な魚の双璧らしいです。そういえば、これらの魚は、よく船長さんに(泣く泣く)献上されていたようでした。

骨が複雑なのですが、これがおいしいことに繋がっているのでしょう。根気よく取り組みます。取り組みながら、昨夜のIJ君のパフォーマンスを思い出します。こちらはヤジ馬にすぎないのですが、彼の出番が近づくにつれ、逃げ出したいような気持ちになってきたりもしました。何でも、リハーサルでは相当トチったとか。心配のタネは尽きません。しかし、嫌がるIJ君を舞台に押し上げるための苦労の日々が浮かんできます。逃げるわけにもいきません。

しかし、本番が始まってびっくりしました。終始笑みを絶やさず、耳にとまるミスはひとつもありません。多分、女性審査員の票は総ざらいだったことでしょう。もっとも、女性審査員はあまりおられなかったようですが。私の近くにいたD師匠(サンシンの方)などは、終わった途端、目がウルウルです。後になって、彼は、目がウルウルだったのはテバの方だった、などと言い張ってましたが。どっちでもいいですよ。素晴らしい出来でした。

お見事!
2001/12/05(Wed) 晴れ


[ どぜう豆腐(Z)]
ドジョウとの長い辛抱強いお付き合い、まことにありがとうございました。全国の泥鰌協会会員になりかわり、厚く御礼申し上げます。最終回です。鍋への投入手順です。普段から多言・多弁を弄さないテバでありますが、今回は、特に淡々と正確にいきたいと思います。この料理は、カテゴリー上は、味噌汁になるようです。

@鍋に水を張り、豆腐とドジョウと味噌を入れます
  余計なことかもしれませんが、普段味噌汁作りに使っている鍋で結構です
  道具について、使い勝手が判っていることも、大切な要素ですよね
  ドジョウはたっぷり入れてください
  (混雑させることと、多い方がおいしいことの、両方の意味があります)
  味噌の量は、できあがりが味噌汁の所要の濃さに合わせてください
  
A水は、豆腐の高さギリギリにはるようにします
  豆腐の上まで水位が来ていると、ドジョウの通路・避難所になってしまうからです

B蓋をして、すぐに火を付け、強火で一気に炊きます

Cゴボウを入れるなら、ドジョウが豆腐に突入したころあいに、パッと入れます

Dネギなどは、できあがってから入れてください
  味噌汁ですから、ぐらぐら煮立てないことです
  (それでなくても、味噌を最初から入れているという変則的味噌汁ですから)
  せいぜい、食べる直前にキザミで入れるぐらいです

えーっと、以上です。なんだか疲れましたが、これで、多くの有志の皆様に、Aさんから伺った秘伝をお伝えできました。後顧の憂いなく、ヒコーキに乗ったりできるわけです。願わくば、有志の皆様の中から、試してみられる方が出現されんことを。

  「かわいそうだが、おいしかった」

これを念頭に、頑張りましょう。

そうそう、今回の総括ですが、無理にまとめると、

☆ 最後の調理は正確に手早くやりましょう。かわいそうですが。☆
2001/12/03(Mon) 晴れ


[ どぜう豆腐(Y)]
前回、ごく少量の塩でアク抜きをしたドジョウ、これは直ちに水で洗浄し、塩気を落としてあげなければなりません。理由は既に述べた通りです。何といっても、ドジョウは淡水魚中の淡水魚ですからね。

ここで、もう一つの重要な材料に触れておかなければなりません。アインシュタインの一般相対性理論は、時間と空間が不可分に結びついていることを、たった一つの方程式で教えてくれました。かの大天才から約100年、ここでは、どぜう豆腐の方程式を発表します。すなわち、

  [どぜう豆腐]=[どぜう]+[豆腐]

となります。どぜう豆腐の本質が、初めて数学的に示されたのです。どぜう豆腐にあっては、ドジョウと豆腐が不可分に結びついていることが判りますが、ここで議論しようとしているのは、右辺第二項にある豆腐のことです。

勘の良い方ならお気づきのはずです。そう、絹か木綿か、という例の問題です。ヒントはドジョウのコンディションです。かの特殊部隊クラスのパワーとファイトをもったドジョウです。ドジョウの形状も、何となく、あの巡航ミサイルに似ていますね。従って、答えは「木綿」です。絹ごしでは、崩れてしまって役に立たないそうです。

今回のポイントは簡明です。

☆ 豆腐は木綿を選ぶ。☆
2001/12/02(Sun) 晴れ


[ どぜう豆腐(X)]
さあ、いよいよ調理に進みましょう。道具は鍋(蓋付き)とコンロですか。もちろん火は、すぐに調理できるように、強火で起こしておいてください。ガスコンロならその心配はないでしょうが。材料はドジョウの他、味噌、豆腐、ゴボウ(笹掻き)、そしてお好みによりネギ、ということになってます。どうして「なってます」なんだ、などと訊かないでください。これはあくまでもAさんのレシピなんですから。前大戦末期の熊本県・宇土地方における歴史的事実であった、とも申し上げておきましょう。これにご不満の方は、自分で試しながら、新たなレシピ作りにチャレンジしてみてください。

ここで一番肝心な手順が登場します。それは、

  ドジョウを笊にあげ、塩をひとつまみかける

というものですが、この「ひとつまみ」の分量が、致命的に重要です。

なぜ塩をかけるか、というと、これは明らかです。塩をされたドジョウは激しく動き回り、お互いに体を擦り付けあいます。すると、みるみる泡が立ってきます。このことによって、ドジョウのぬめりが取れるのです。この泡は、別名をアクとも言います。そう、あらかじめ、アク抜きをするのですね。しかし、アクを充分に取ろうとして、塩を多量にしすぎると、ドジョウはその塩分で弱ってしまいます。折角イキの良いドジョウを用意した努力は、水の泡、もとい、塩の泡になってしまうのです。塩で弱ってしまったこのドジョウは、次の段階で、地獄の戦場を戦い抜くことができなくなってしまうのです。

この手順のくだりに至り、テバは執拗にAさんに食い下がりました。ギリギリ少量とは? 「泡が出ないようなら塩が少なすぎる」、というのが塩の量の下限値の目安でした。上限は? 「少しはぬめりが残っている」状態だそうです。このときは、ドジョウの表面が白くなるので判るそうです。残ったぬめりが味を落としてしまうのでは? これについては、「ん〜ん〜、ぬめりもダシのうちよ」とのご託宣でした。ちなみに、この「ん〜ん〜」という言い方は、沖縄では、相手をやさしくたしなめる場合などに使う表現で、テバの好きな言葉の一つです。特に女性などが、ある種の仕草を交えて使うと、大変よろしいようです。

閑話休題。結局、この塩加減は、一・二度失敗してみなければ掴めないような、微妙なもののようです。したがって、ドジョウは、初回には多めに用意しましょう。

総括すると、

☆ 笊にあげ、塩をひとつまみかける。塩の量はギリギリの少量とする。☆
2001/12/01(Sat) 晴れ