☆★☆- ホンの幕間 -☆★☆

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[ ちょっと早いですが … トキの忘れ物 ]
本年もありがとうございました。カウンターも3,000の手前まで来ました。超零細サイトとしては、三百万にも匹敵する喜びです。

今年、最後まで見つからなかったり見あたらなかったものです。世界的レベルのものから、意味不明な個人的なものまであります。しかも順不同。

 バビロンの大量破壊兵器 … 探してない国から出てくるだけ

 野生のカメレオン

 原稿督促の「殺し文句」… あと二人!

 TV番組の劣化防止策 …「見ない」が正解かも

 たまご酒以上に効く風邪薬

 年賀状の劇的減量法 … 謎の協力者曰く「喪中しかないかな…」

 各種リスクの適正な評価管理法 … U先生「博才ですね」

 使いかけのパスネット(数枚) … 何故かなくなる

 デフレ脱出の特効薬

 某重役球団の根性・奮起 … 年俸の高い方から三人馘にするとか

来年もよろしく。よいお年をお迎え下さい!
2003/12/30(Tue) 晴れ


[ ガチャ眼改修の経済学(ガチャ眼・歳末総集編) ]
白内障の手術に健康保険が適用されたのは、平成4年ごろのことのようです。テバの場合入院希望だったので、純粋な手術(つまり日帰りコース)料金ではありませんでした。あちこち調べた結果、どうも3割負担では約45,000円程度のようです。つまりC(費用)は両目で約90,000円ですね。これで治るのは、@近視(または遠視)の全て、A遠視(または近視)のかなりの部分、B乱視の大部分です。これらの合計がB(便益)ということになります。各項目について説明しましょう。

まず、先生に近視を残すか遠視を残すかを訊かれます。いきなり訊かれることが多いのですが、事前に考えておいた方がもちろんベターです。天然レンズの場合は、毛様筋の作用により、レンズの厚さが変化します。このおかげで、近くのものにも遠くのものにも焦点を合わせることができるのです。天然物ならではの良さです。ところが人工レンズはプラスチック製で、なおかつ毛様筋と切り離されてしまうので、固定焦点式になります。「写ル○です」と同じ設計仕様になります。

あなたが景色や夜空を眺めるのが趣味なら、老眼残しにしましょう。眼鏡不要です。その代わり、新聞を読む時などには、老眼鏡が必要です。逆に、近眼残しにすると、外をうろつくときに、眼鏡が必要になります。これが@の内容です。しかし、レンズ更新の効果は大きいので、Aにあげたように、残った遠視、近視も相当改善されます。Bの乱視ですが、これはレンズの歪みに起因するものは完治します。しかし、乱視には眼球の歪みによるものがあり、これは残ってしまいます。

この費用を幾らに見積もるかで、投資の意志決定がなされます。この際、眼鏡の費用で置き換えてみましょう。レンズが2ヶで大特価でも5万円を超えたら、フレーム代も含めて10万円以上かかるでしょうね。するとB/Cは1を超えてきます。しかも、C視界の霧が晴れる、については別途のBですから、絶対お得ということになります。このぐらい眼が悪い人は、簡単に元が取れる勘定になるのです。保険がきかなかった時代にはCが30万円相当ですから、これは相当きつい投資です。

さて、投資という行為にはリスクが付き物です。株でも先物でも一緒です。このリスクは別途評価されるべき項目です。リスクを恐れては何もできませんが、リスクを考えずに投資するやつはアホです・・・。皆さん、この数値は明らかにしてくれないのですが、成功率は片目で98%はあると思います。現に、テバの同病同室の皆さんは、全員成功しています。両目ともやる場合、両方共うまくいく確率は0.98×0.98ですから95%位です。えっ、20人に1人は最低片目失敗・・・怖かった。

[誤解を避けるために:補遺]

両方共うまくいかない確率は、0.02×0.02です。一万分の四ですから、2500回に1回です。
2003/12/29(Mon) 晴れ


[ チェインメール ]
一年のこの時期の良さは、時間が足りなくてかねてより抛り出しておいた本を、ドレドレと拾って読めることです。そこに落ちてた話のひとつです。これは、チェインメールの元祖のことです。大正15年の夏、「貴下の幸福のために」で始まり「早速友人三人に対し、同様の文句にて発信せられたし。幸運たちどころに来るべし。もし発信せざれば悲運来らん・・・」と結ぶ手紙が現れます。現行版と大正版とを較べると、何も進歩していないことがわかります。

時はまさに大正モダニズムの爛熟期です。どっかの洋行帰りが始めたのでしょう。被害の甚だしさは「知名の士は受信の数も多く、悲鳴を揚ぐるに至る」と述べられています。ネットの御代のわれわれは、その程度のことで悲鳴をあげたりはしませんが・・・しかし、この事件にはオチがあります。「警視庁においては、同年七月、赤坂青山南町吉田○作外六名に対し罰金五円を科したるを始め、各署においても極力その発信者を罰したるがため・・・」沈静化したそうです。

ナイーブな良い時代でした。チェインメールにさえ、差出人の住所・氏名を書いていたようです。そういえば、手紙を出す際に発信者を明記するということは、結構、小学生のころから刷り込まれています。思わず自動的に手が動いてしまいますよね。あのグリコ事件の犯人だって、差出人を「かい人20面相」と書いてましたが、もう少しで郵便番号・住所・氏名を書きそうになったのではないでしょうか。深夜、ハッと気付いて苦笑いするキツネ眼の男って、・・・可愛い。
2003/12/28(Sun) 晴れ


[ 中継港からの幕間 ]
何だかいろいろありすぎた2003年でした。特に後半は疾風怒濤、・・・というと、もっと劇的な一年を過ごされた方には、申し訳ありません、・・・ご同情申し上げます。幕間の月産数を振り返っても、眼がみえなかった時期がよく判ります。終着港は、多分、遼遠でしょうが、中継港に碇を下ろしたこのひととき、多少はほっとすることです。そうは言っても、賀状問題、帰省問題など、若干の課題を残してはおります。まだ考えないことにします。

唐突ですが、世に「ニセ太政官布告問題」というのがあります。特に有名なのは「万歳三唱令(明治12年4月1日施行)」というものです。台湾出兵の折、全国各地から集められた兵卒たちは、戦勝祝賀の共通作法がなくて困った。このことに鑑みて定めたもの、とかいうお経まで付いています。「両手ノ平ハ内側ニ向ケルベシ」って、正面に向けると降参になるからという解説も付いてます。白眉ですね。まだ騙されっぱなしのヒトも多いことだろうと思います。

以下は正真正銘の話です。これは明治3年10月23日布達の太政官令です。新年に際しての賀状書式を定めています。用紙サイズが相当大きいのですが、葉書ではなく一種の visiting card のことだったのでしょう。

  大奉書四ッ折

 謹 奉 賀 新 正

  正 月 日

    官位 姓 氏 名

  但、官位不相当は行守を書す如例(勅任用)
  但、無位にても氏を書す(奏任用)

ただし書きからして、これは役人を対象にした太政官令のようです。しかし、これから10年ぐらいすると、民間でも年賀葉書が流行するようになったそうです。上ノ好ムトコロ下モコレヲ行フ、江戸時代スピリットだけはイキイキとしていたのでしょう。しかしまあ、現行のステロタイプな年賀葉書のプロトタイプは、こんなところにあったんですね。それから130年余経っているのですから、国民的記憶というものには根強いものがあります。

太政官ていうのは、イコール帝国政府そのものでした。規制緩和の正反対のことをやっているようですが、もう国民てぇものは、官吏から始まって、コントロールしておかないと無茶苦茶をやるんだから、という気遣い・親心が溢れかえっています。お節介焼き帝国の丸抱え官吏・臣民。潰れるものは潰れろ的投げやり政府の下で暮らすより、ひょっとしたら幸せだったのかもしれません。もちろん、重税・兵役はあったわけですが。

さ、年賀状だ! この歳になると、「喪中につき・・・」の葉書の束の厚さも気になってきます。
2003/12/27(Sat) 晴れ


[ ガチャ眼(3) ]
白内障の手術と俗に言いますが、これの正式呼称は「超音波水晶体乳化吸引術および人工眼内レンズ挿入術」です。どうです凄いでしょう。引○天功のマジックに匹敵します。一度で覚えられたら、あなたは大モノです。これを一字一句間違わずに書かせるだけで、医師国家試験の一問分は十分にあります。もっとも、テバも覚えたわけじゃなくて、同意書に添付されていた説明書を見ながら書いているわけです。しかし「超音波」とか「人工眼内レンズ」とかは、科学技術の粋という感じです。キラキラ度満点です。

ちなみにこの説明書には、「手術自体の危険性および考えられる合併症」とか「考えられる後遺症」とか「通常は発生しないが起こり得る重大な危険性」とかが並んでいます。こんな手術を日帰りで受けようというような人は、その度胸だけで人生の勝利者になれるでしょう。この術式は「水晶体を覆っている嚢の前の部分を切り取り」、「中味を超音波で砕き吸い出し」そして「人工の眼内レンズを挿入する」っていう、予想通りのそのまんまです。「嚢」とか「中味」とかの用語も独特の味を出してます。

麻酔は基本的に点眼です。「眼は自由に動くので患者さんの協力が必要」です。う〜ん、協力してもいいんだけれど、それよりいっそ「自由に動」かないようにして欲しい、と希望しても無駄です。患者の役割はここにこそあるのです。現場では、「上を見て」とか「下を見て」とかの指示が下されますから、動かないと困るのです。手術中は暗闇のなかに超音波プローブと覚しきものが光っているだけです。機械がブーンとかピーとか音を立てています。患者はゆっくりと呼吸し、肩の力を抜くように心がけましょう。

以上です。ちっともスプラッターじゃあなかったですね。各種の準備から後始末までを含め、手術室の滞在時間は45分ほど予定してありますが、実際は30分もかかりません。この手術の醍醐味は翌日のガーゼ外しです。その瞬間、ここ20〜30年来見たこともないフルカラーで高解像度なハイビジョンが眼前に広がります。新世界にようこそ! 片目をやるとクセになり、もう一つを早くやりたくなります。二つ目が終わると、ああもう一つ目があったらなあ、と思うことになります。中毒性禁断症状ですね。

メリー・クリスマス! 告解も終わり、ほっとしてます。

(おしまい)
2003/12/25(Thr) 晴れ


[ ガチャ眼(2) ]
それにしても眼科は女医さんが多いですね。この病院は眼科部長以外は全部女医さんでした。そういえばジャック・ライアン米国大統領のご令室も眼科医でした。それはさておき、診断を貰ったのはよいけれど、治療はしてくれないという展開になってきたのです。なぜなら、当該病院は7泊8日を基本原則としていたのです。これは「老人性」白内障のための制度でした。あんたは日帰りオペに耐えられるはずや、余所でやんなはれ、というのです。嬉しい! 少なくとも「老人」とは見られなかったのです。

って、喜んでいる場合じゃありません。自慢じゃないけど、手術と呼べるほどの大規模な治療を受けた経験がありません。昔カッターで指先を怪我して、三針ほど縫ったような記憶が最大級です。盲腸だって大切に持っているくらいですからね。この手術、ネットで調べると、結構おぞましい写真が載っています。脳のすぐそばにあって、睫毛ぐらいで大騒ぎするところにメスを入れるのです。これは是非、一宿一飯の恩義にあずからせてもらいたいものです。しかし老人優先制度の壁は高かったのです。

そこで全然別の科に飛び込みました。かねて馴染みの先生にレターを書いていただいたのです。曰く、「テバ君は、生来蒲柳の質にして、現在万病を有し、白内障手術と言えども軽視すべきではなく、当院の総合的管理の下に・・・」というような切々たる内容です。人の子にして、あにムゲに叩き出すこと可ならんや、という涙のレターです。相談しながら書いてもらいましたから、間違いありません。これで受け入れてくださることになりました。もうこのころは沢一状態になってます。

こんな時にマダガスカルに行ったのです。お里はもちろん、謎の協力者「ひま」さんです。霧の島を徘徊彷徨してきただけです。今だから言うけど、黄昏時、みんながカメレオンがいると騒ぎ出します。天然モノですから感動もひとしおです。沢一としても、そうだそうだカメレオンだ! と見栄をはって一緒に騒ぎましたが、実は全然見えていなかったのでした。カメラを適当に向けてシャッターを切ったのですが、あとになって見てみたら、木の枝が写っていただけでした。

ここで日帰りオペ小史です。白内障については、比較的早い時期から導入されていたようです。しかも、「両目一挙取っ替え・日帰り術」なんてのをやっていた病院もあったようです。その病院は名前も聞いているのですが、今やそんな衛生兵くずれみたいな医者は絶滅してしまったようです。もうやってはいないようです。反省もしているようなので触れないことにします。怖いですよね。「両目一挙失敗術」にでもなった場合のことは考えなかったのでしょうか。

そこで素人考えとしては、片目の成功を見届けてから、もう一つの残り目をやったらどうかとなります。なにせ7泊8日もあるのだから、時間的には十分だと思われるのです。ところが「ノンノン、ムシュー」でした。目と目の間は最低3ヶ月はあける、というのがアポロンの司祭のご託宣でした。今、両目が終わってしみじみ考えます。賢明なことですね。眼鏡やコンタクトレンズの調製じゃあないのです。その辺の野良馬を拾ってきて、いきなり戦場に飛び込んでも駄目なのです。あ、「駄目」ってそうか!

親から貰った天然物を工業製品に取り替えるだけなのですが、角膜とガラス体の間に入れるのですから、一種のサイボーグ化です。馴致という段階を踏んだ方が、絶対に良いはずです。しかし片目だけ交換した後の、残り目のうっとおしいこと。指折り数えた3ヶ月でした。しかも急速に悪化・劣化していくのです。「あとは頼むゾ」症候群、です。これで2ヶあることは禍であり福である、という意味がお解りいただけたことと思います。次回は、いよいよスプラッターになります。気の弱い人は読まないでください。

(以下次号)
2003/12/24(Wed) 晴れ


[ ガチャ眼(1) ]
「ガチャ眼」という言葉の由来如何、とU先生に伺ったところ、カメラ関係者用語らしい。プロ野球のカメラマンは、 ホームランが出るまでじっとカメラを覗いていなくてはならない。ガチャ眼になって初めて一人前だ、ということである。確かに昔の一眼レフは、シャッターを切る時、「ガチャッ」という派手な音を立てていた。なるほど職業病だったのか、聞いてみるものではある。一生この言葉の意味を知らずに終わっていたらと思うと、ぞっとする。

話は変わるが、いつか必要になった時のため、あるいは既に必要を感じている方のために、いわゆる白内障について説明させていただく。「いただく」って、いきなり何だ何だ、唐突だよ〜の感もあるが、テバとしては全身全霊をかけた告白なのだ。ネタに詰まった作家ですらためらうようなコンテンツなのだ。必読。9月と今回の二度にわたりアポロンの神殿に行ったのは、このためだった。そう、眼というものは2ヶある。この2ヶというのが福であり、そして禍でもあったのだ。

眼が二つあるおかげで人間は世界を立体的に把えることができた、というのは大嘘である。Ganotの第六章図234,235にはそのような虚説が載っている。ならトンボは? だがしかし、現に、9月から最近まで一つ目状態で暮らしていたテバには、あーら不思議、徐々に片目でも世間を立体的に見ることができるようになってきたのだ。人間の脳は途方もない潜在力を持っている、としか今は言うまい。まあしかし、忙しかったことも事実だ。左目で5泊6日、右目で4泊5日である。合計9泊11日のブランク。

眼の構造に詳しくないと、これからの話題に随いてくるのは厳しい。そこはそれ、自己完結・自給自足のテバランドのこと、Ganotの第六章図233の蛇足を見ていただけば、必要なことは出ている。白内障とは、そこでは「レンズ」とのみ記されている部分の障害である。以降、間違わないため、親からもらったレンズを「水晶体」と呼ぶことにしよう。工業的に生産されたものを「人工レンズ」という。そう、日本人好みの「総天然色」的表現をとるなら、水晶体は「天然レンズ」と言ってもよい。

日本人は空気と安全はタダだと思っている、とはよく聞く話だが、もう一つ「光」を加えたい。空気と安全と光はタダだと思っているのだ。しかし水晶体は生体の一部であるから、酸素と栄養素を補給してやらなければならない。水晶体の中にも縦横無尽に(だろう、かな?)毛細血管が走っていて、この役割を果たしているのだ。この血管が官僚のごとく自己主張を始めると、水晶体の透明性は失なわれてくる。透明性とか公平性とかの重要性は行政改革ばかりではない。情報理論上の意味もあるのだ。

眼は心のマナコにして、ということはマイナーな噺家の世界だけのことではない。人間という情報処理システムへの入力は、その90パーセントが視覚系経由であるという。とすると、白内障というものが50パーセント進行すると、全入力情報量の45パーセントが欠落するということである。そうすると55パーセントの情報だけで暮らす羽目になる。検算不要。そこからこの夏の苦労が始まった。600ページもある本の翻訳プロジェクトを立ち上げてしまった。これは馬鹿なことだった。

翻訳者→監訳者→統括者、こんな準軍事的組織を編成した。で、結局は、某党政治局中央委員会的論理により、「提案者こそ前衛であるべきだ」てえ結論になり、相当な量を引き受けてしまった。そのころから視覚に不便を覚えだした(楽ガキ参照)。率直に言って、ついにはPCのディスプレイすら碌に見えなくなってきたのだ。この辺、「きたのだ」なんて偉そうにやるべきじゃないのだけれど、「である体」を採用してしまったのである。騎虎の勢いということでご容赦を。膠着語は不便である。

で、翻訳プロジェクトは横に置いとくとしても、「これは何だ!」と思うわけである。思わなきゃ霧の摩周湖的馬鹿である。そのうちに、春の頃からアポしといたマ島行きは迫るしで、もう、・・・適切な表現がないので、信念に反しますが・・・アタマがウニ状態になってきた。トドのつまり、信頼する病院の女医さんから、立派な白内障であるという立派なご診断まで頂いたのだ。ここのところは間違えてほしくない。信頼する女医さんではなく、信頼する病院なのである。たまたま女医さんだったというだけ。

(以下次号)
2003/12/23(Tue) 晴れ


[ 冬至 ]
今日はちょうど冬至でした。例のアポロンの神殿@冬版から帰ってまいりました。この年の瀬の四泊五日ですから、ちょっと贅沢な温泉旅行といった感じです。三食昼寝付き、昼風呂ありです。もっとも1日1500kcalで、「アルコール禁」という条件が付いてはいたのですが。9月からの騒ぎも一件落着しました。ホッとしたような、なんだか淋しいような気持ちです。

 事をはる つひの果てには 事もなし

今回も、エリート専用の4Fではなく、カスバまがいの6Fでした。不思議なもので、慣れてくるとここぞ古里、と思えるものですね。デカい声で話すオバさんやニイちゃんも、ああそうだった、こうだったんだよ、と許せるのです。どうもどっかのゲレンデで骨折してきた、「はしり」みたいなのもいました。元気一杯、周囲をリードしてました。歌声喫茶状態です。

 野良猫の 何故か親しむ 夜寒かな

まあ、二回目ということでもあり、大体予想通りの展開でもあり、あまり目を瞠ることもありませんでした。巫女さんたちも、このヒトはベテランだから、というような扱いでした。たった2回目でベテランです。凄いですね。3回目になると、どんな風になるんでしょう? 帰化人とでも呼ばれるのでしょうか。まあ、ともかく、達磨にも二つ目の眼が入りました。

 外つ国の 冬至カボチャに 眼が入り

そういえばハロウィーンも、元来は冬至の祭日だったようです。
2003/12/22(Mon) 晴れ


[ 長い戦い ]
11月の上旬に注文した本が、今日やっと届きました。もちろん、航空貨物です。$25という大枚をはたいた1871年版のGanotの教科書です。注文先のカナダの古本屋との長い長いやりとりによれば、カナダと日本の間を二往復半しています。ついに届いた航空貨物の宛名を見て納得がいきました。最後のは一度目、二度目のよりはまだましなのですが、それでも、手書きの宛先で麹町は、 "KOJA MPCHI" となっていました。しかも、あの人たち独特の筆記体で。

何で一度目、二度目の状態を知っているのかというと、カナダに送り返されるたびに、返却貨物の状況写真をメールに添付して送ってきてくれていたのです。その意味では誠実な対応ぶりでした。事情も徐々に判ってきました。二度目にはこちらから、Tokyo JAPAN 以外を ATOK で打って、ここからここまでをデッドコピーして宛名にしてくださいよ、とメールしましたが、やはりだめでした。日本語 FEP なんか持ってなかったようです。文字化けしていたんでしょうね。

こうなると三度目は命がけです。二度目のお薦め方式を徹底させました。「〒」も何とかしなくちゃならないのです。日本語の宛名をJPEG画像ファイルで作成して添付したのです。こいつを極力大きくプリントアウトして、貨物のどこでもいいからシールのように貼り付けてくれ、と頼みました。Tokyo,JAPANにさえ来れば何とかなるはずですからね。どうもこれが成功したようです。やっと届きました。フセイン逮捕の翌日のことです。駐イ米軍の苦労が偲ばれました。

もちろん古本屋さんには、直ちに "I got it! Thank you." と、お礼のメールを打っておきました。記者団を集めて"Ladies and gentlemen, we got Ganot!" とやりたかったくらいです。一度目の宛名は凄かったですよ。 "xx Bldg Chiyoda-ku Tokyo,Tokyo zzz-zzzz Japan" でした。zzz-zzzz はもちろん、 zip code だったのですが、番地だと思ったのでしょう。〒をTokyoにした形跡もあります。番地が省略されてたのは、これが郵便番号に見えたのでしょうか。カナダってどんな国なのか・・知りません。

でもさすが古本です。内扉に当初の所有者と覚しき"A.F.Anderson 1929"のサインがありました。あのころの教科書って、寿命が長かったんですね。
2003/12/15(Mon) 晴れ


[ 小耳 ]
隣の椅子で調髪してもらっている客と店員さんのやりとりです。

 客「年末になると請求書作成とかで日曜もなくなってしまう」

 店「まあ、それにしても最近は手書きじゃないから楽ですよね」

 客「そうそう。○○さんは何使ってるの?」

 店「私はワードです」

 客「あ、じゃあ一緒だ。ワードで十分だよね。パソコンなんかいらないよね」

 店「・・・(絶句)」

別に耳を澄ましてたわけじゃないんですけどね。
2003/12/14(Sun) 晴れ


[ 耳をすませば ]
餡パンと食パンが道を渡っているところに、トラックが暴走してきます。これを見て「あぶない!」と声を掛ける人がいます。さて、どちらが助かったでしょう? 正解は、2人とも助かった、でした。餡パンはコロコロ転がって逃げ足が早い、食パンは耳があって早く気付いた。ということで、めでたし、めでたしです。

でも食パンの耳って、意外においしいものだったのですね。これをカリカリにトーストしたものは絶品ですね。バターでもよし、ミルクに浸してもよし、です。ま、いかに貧しい食生活であったかを暴露するような話題です。しかし、おいしい。ご飯のオコゲだけを集めたものや、中華風オコゲのスープ掛けよりずっとおいしい。

老年の先輩たちも、「食」についていろいろおっしゃいます。その平均値は「美味しい物を少しだけ頂く」というあたりです。確かにそうです。不味いものを受けつけるほど謙虚でなくなり、胃腸の体力も落ちてくると、こんなあたりが結論になるんだと思います。そこでパンの耳に出会ったのが運の尽きかもしれませんが。サクッ。

 パンの耳 深まる冬や 耳澄める
2003/12/13(Sat) 晴れ


[ あのね ]
外交官が2人殺害されたということは、軍隊の2個師団が壊滅させられたというぐらいの事件なのです。兵隊さんに換算してはいけないのかもしれないけど、約2万人死傷なのです。この換算比率は中国の春秋戦国時代に確立して、その後、世界的大原則になっているのです。どっかの無学・無教養・強気一本槍・支持率ボケ湘南宰相は、大変な誤解をしているのです。

外交官というものは、当時「謁者」と呼ばれてました。敵性国の独裁君主に謁見し、この暗君・昏君が一番聞きたくないことを伝える、という大変いやな仕事です。即座に首を刎ねられることも多かったようです。でも、そんなことを繰り返しているうちに、直ちに戦争になってしまうことに気付いた「賢者」もいたのです。そんなあたりから外交官特権が発生しました。

今回の事件への正しい対応は何でしょう? 2個師団壊滅相当のメにあったのだから、3倍の6個師団を派遣するのが戦略の原則でしょうね。旧帝国貧乏陸軍みたいな戦力の逐次投入では、ジリ貧的状況をもたらすだけです。後方支援も入れると10万人規模です。日本は空っぽになるのかもしれないけど、乗りかかった泥船ですよ狸さん。10万本の show the flag です。

もうひとつの方法があります。外交官も含めた邦人総引き揚げです。ゼロサム・ゲームにしちゃうんですね。石油? 米国? それが気になるのなら10万人投入しかないでしょね。しかし、石油も米国もなしで yes と言える日本、それを考えるのもステキなのじゃないでしょうか。千人の自衛官が死んだら、・・・なんてシミュレーションよりは、明るく前向きですよ。
2003/12/12(Fri) 曇り


[ 保護責任者遺棄 ]
老年者、幼年者、病者などを「保護する責任のある者」が、その対象者を遺棄したりすることらしいですが、U先生からクレイムです。すると「保護者会」とは、老年者、幼年者、病者などの会になるのではないか、という主旨です。たしかに。もっとおぞましい「死体遺棄」なども、「死体」が○○を遺棄したりすることになりかねないですね。

マルクス・エンゲルス理論の全盛期、英国の「貧乏税」はよくやり玉に挙がったようです。貧乏であることに課税するとは、何たる非情、何たる過酷、ということです。「富裕税」とか「奢侈税」とかがあった時代ですから、一理あることです。実態は、poor tax とは、生活保護のための目的税のようなもので、もちろん持てる者から取りました。

米国の国務省もまぎらわしいですね。東洋のどっかの外務大臣なんかは、国務副長官が来たときにスッポかしてしまったようです。これが外務次官相当職だということを、誰も教えてあげなかったのかもしれません。ま、足許の外務をやらない極楽官僚退治に忙しかった、ということもあったのでしょうが、ワシントンが外交と戦争しかやらないことは常識です。

課長というのは英語で director のようです。正しく方向付けするという職責を表しているのでしょう。企業の法務課長といえば、企業活動の合法性、倫理性の方向付けをすることが役目だろうと思います。ところが会長の指示に従って、盗聴活動を指揮していたというのですから、directed person あるいはただの soldier,labor,slave ですね。

【機構名改革案】

国務省
 Department of State
   ↓
 War War? or No No? Department (やるんかい・表に出よか省)

国防総省
 Department of Defence
   ↓
 War Department (ほな・やったろやないけ省)
2003/12/07(Sun) 晴れ


[ さて、丁寧にまいりましょう ]
共和制の古代ローマでは、貴族の子弟は16歳で軍役に就いたそうです。それから10年の戦場(いくさば)を、もし無事に生きて還ることができたなら、そこで初めて国家公務員になれたのだそうです。最初に就任できるのは「財務官」らしいですが、これの選出を行うのは旧戦友や部下たちです。いくら戦場の傷を見せたところで、あいつはダメだ利己主義者だと思われたら、当選できる可能性はなかったようです。これを1年やった後、造営官を1年、国務官を1年、・・・ときて、人民の輿望があれば監察官を5年やります。ポピュリズムかな? そうしてやっと最高位の執政官(任期1年)に辿り着きます。

執政官は内閣総理大臣なのですが、1人では独裁官になり「王」・「皇帝」の類になります。そこで決して独断・専横に陥らないように、2名制にしてありました。しかし今回の議論はそんなことではありません。この執政官は平時の職制でありました。戦時には、いきなり軍団司令官になったのです。当時のことですから、軍団司令官は前線に赴きます。遙か離れた土地から「諸君、身命を賭して頑張ってね」なんてことでは戦争にならなかったのです。従って、執政官=軍団司令官の戦時死亡率は、兵士のそれと同等でした。むしろ、真っ先に狙われる、かなりリスクの高いポストであったようです。

話はかわりますが、江戸時代の封建制のことです。何をしてるんだかわけのわからない御留守居役が五千石取りで、農民の中を駆けずり回って年貢と福祉の政策バランスに苦労している田舎のお代官が三百石なんていうことがありました。山本○五郎なんかからは凄く非難されているシステムです。しかしこの御留守居役というものは、戦時編制になった途端、国境要塞司令官をやったようです。その時は自腹切ってでも国境を衛る責務があったのです。戦国時代の編成がそのまま残っていたのですね。ただ、思ったより平和が長続きしてしまったのが誤算でした。山本先生あたりから批判される存在にもなりました。

和戦があざなえる縄だとするならば、共和制ローマや江戸初期の体制に戻しましょう。三陸のマザコン政治家ごときに「普通の国になれ!」とか指図されたくはないのです。執政官殿や御留守居役殿にも、一朝事あれば、直ちに前線に行って命を懸けて頑張って欲しいのです。遙か後方から show the flag なんて世迷い言を言われたくないのです。そんなことで戦争ができると思うのであれば、ルイ十四世とかニコライ二世とかウィルヘルム二世とか徳川十五世とかジョージ二世と同等だということになります。テバは非武装中立という嘘も理解しませんが、ヨソの家の座敷に武装して土足で押し掛けることも理解できません。

もしもそんな事態になるのなら、三陸のオマエ、一緒に前線に行こうよ。ヘルメットが似合いそうだよ。
2003/12/05(Fri) 曇り


[ お前が行け! ]
どうしてもバビロンに旗を建てたいのなら、お前が行け! 以上。
2003/12/03(Wed) 晴れ


[ 絶滅危惧語 ]
絶滅危惧種という一群の生物があります。もちろんこう定義したのも、絶滅が危惧される状況にしたのも人類です。ところで言葉の中にも、絶滅が危惧されるものが多数あります。その中の一つに出会ったのでご紹介します。

大昔、こんな文句を聞きました。

 本間様ほど なりよもないが せめてなりたや お大名(A)

場所は北陸のどこかです。大名を上回る大富豪の本間家というのは、日本海側に大変広く分布していました。問題はこの「ほど」を含む表現です。その後、いくら調べても出てきません。出てくるのは、よく似ていますが若干異なる次の型です。

 本間様には なりよもないが せめてなりたや お大名(B)

となっています。もちろん地方毎のバリエーションはあります。しかし、基本型としてはすべてB型ばかりです。A型がないのです。テバの記憶違いかと、なかばあきらめておりました。ところが最近、ある方から松江地方の言葉として、

 隠岐では国賀ほど見ればええわ

という表現があることを教えていただきました。国賀は海岸にある絶壁の景勝地のようです。隠岐に行ったら「国賀さえ」見ればよい、というような意味です。この「ほど」にこだわっていたのは、もう一つ用例を聞いたことがあるからです。

 あんな店ほど行ったらアカンで

場所は、あの山椒大夫の舞台、丹後の由良あたりです。勇気づけられました。松江、丹後に「ほど」があったのですから、日本海文化としては一衣帯水の北陸に「ほど」があっても不思議はありません。ただ、大変に古い時代から伝わる言い方のようです。古語ですか。

さて、この「ほど」とは何でしょう。現代語では次のように使います。

 ○○先生ほど立派な方は見たことがない

 1時間ほどかかります

組み立てとしては、「名詞」+「ほど」(+「形容(動)詞」+「名詞」+「助詞」)+「動詞」、ということになります。この「ほど」は、直前の名詞(体言)と結合して、比較や程度の意味をもたせる副助詞だとされています。

松江、丹後、北陸の表現も確かに、「名詞」+「ほど」+「動詞」の形を踏んでいます。ただ意味不明であるということが困ったことです。そこで括弧の中が省略されていると考えたらどうでしょう。補うべき意味を推定してみます。

 松江 : 絶景な場所さえ

 丹後 : 高くてサービスが悪い所に

 北陸 : 立派な身代には

何故省略されてしまうかというと、(悪名も含めて)あまりにも有名なので、誰でも知っている筈だという前提があるからでしょうね。この表現は使えます。たとえばさっきの例でも、

 ○○先生ほど見たことない

立派なのか非道いのかは誰もが知っていることです。この表現、絶滅させるのは惜しい気がします。
2003/12/01(Mon) 雨