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☆★☆- ホンの幕間 -☆★☆

2004/02 << HOME >> 2003/12

[ 本日のG1レース ]
8:30出走グループに入れてもらったのはよいけれど、問題は整理券の順位です。これで軽く1時間の配当差が出るのです。で、大変な早起きをして、前回より30分以上早い7:30には受付に到着しました。銅メダルはカタいと思ったのですが、老人力の壁は厚く、9着でありました。何とか次回のシード権は確保したものの(嘘です、そんなものありません)、前回が8:05で13着だったことを考えると、今回は ??? でした。

この謎は8時ごろになって徐々に解けてきました。その頃には、すでに20番を超え始めています。本日は大盛況だったのでありました。受付開始のころには、すでに40番台に突入していました。たっぷり2時間分のクランケの山です。それにしても、何のための予約診療システムなんだか・・・判らない、ことです。まあこれも、一回の通院で二度楽しませてあげようという、病院当局の親心なのかもしれません。

ここは大病院なので、受付カウンターは1〜3Fで合計8つぐらいはあるでしょうか。整理券も確保できると、あとは何もすることがありません。ザッと視察してみます。整理券を発行しているカウンターは結構あります。しかし大抵閑散としています。奪い合うように殺到しているのは、どうも「耳ビ科・眼科」カウンターだけのようです。このカウンターの前だけが圧倒的な人だかり、老巡礼のメッカ状態なのでした。

受付開始の8:15になりました。今日は5分ほど早いようです。私の前には、理論的に言って、8人がいるはずなのですが、6人しかいません。シード権が確保できたので(ないって!)、それで満足してお帰りになった方もおられるのでしょうか? 問題はこの6人が構成的に相当に偏っていることです。全員がおばさんなのです。しかも、年齢的にも60才前後揃えで、競馬場の予想紙売りしてるおばさんタイプです。

やはりここは競馬場のような所だったのでした。早起きのおかげで、担当の先生の段階では三位に入賞できました。9時半ごろにはお会計も済み、一路職場へ・・・しかし眠い!
2004/01/29(Thr) 晴れ


[ 人生を理論するのだ ]
名古屋での研究会にトンボ返りで行ってきました。カワマス、ニジマスなどの外来種の話なんかを聞いてきました。それはさておき。このごろは眠りも浅く、いつもホテル代を損した気分でチェックアウトしています。ぐっすり眠るにのにも「力」が必要らしく、これを「睡眠力」と呼ぶのだそうです。そういえば赤ん坊なんかは100%睡眠力のカタマリですね。寝ながら泣いて、寝ながらミルクを飲んで、寝ながら寝ています。

本屋さんで見かけるのですが、怖ろしくて手にも取らない本に「老人力」というのがあります。まあ大体の見当は付きます。睡眠力の対極の力なのでしょう。そうすると人生の力は、

 人生力=睡眠力+老人力

とでも第一近似できそうです。この睡眠力には正負を考えても良さそうです。正の睡眠力の代表は、バカ息子の爆睡ですね。負の睡眠力は人生の黄昏にあらわれてきます。故に、別名「昏睡」とも。睡眠力が負になると、老人力との合計がゼロ以下になることもあります。人生力がどんどんゼロに近づきだすと、お医者様が小さな声で「必要なら、ご親族の方をお呼びください」などと言い出します。例のシーンですね。

第一近似だけでは、赤ん坊時代と老年期の間にある、活動的な人生というものが表現しにくいことはすぐに判ります。今回の名古屋での研究会は、第三の力の発見が中心課題でした。で、第二近似としては、「空転力」を入れるのが良いのではないか、という暫定的結論が得られました。つまり、

 人生力=睡眠力+空転力+老人力

ですね。具体的には、ハムスターが輪を回転させているような「力」です。ここで空転力と老人力の双方に、正負を考えてみます。

 空転力>0 老人力<0 → 途轍もなくバカな事をしでかした

 空転力<0 老人力<0 → 知恵が足りなかった

 空転力>0 老人力>0 → 発想は良かったんだけど・・・

 空転力<0 老人力>0 → なにがしかの成果あり

理論物理学の方でも、電磁力・重力など四つの力で森羅万象を説明しようとする動きがあるようです。理論人生学でも、もう一つぐらい「力」が必要かも知れません。今後の研究課題です。
2004/01/24(Sat) 晴れ


[ 学力低下検証試験 ]
全国の49万人の小中学生を対象に、新学習指導要領の内容がどの程度身についたかという試験をやったらしい。不思議な試験をやるものだ。この新要領こそ「ゆとり教育」の集大成なのだから、やる前から結果は判っているはずだ。どうしてもやるなら、「学力低下検証試験」とでも名付けるべきだろう。学力低下が生じていなかったとしたら、大変なことになる。小中学校や文部科学省の有無は、児童の学力に無関係だということが証明されてしまう。

円周率は3と教えようと、4と教えようと、どうでも良い。あるいは、そんな無理な数はないと教えても構わないだろう。学習と学力に相関関係がないのなら。
2004/01/22(Thr) 曇り


[ バオバブ〜〜 ]
『バオバブの踊り』と題して、「村一番の弾き手がアフロなリズムを奏でます。すると、本当に小さな子供達が、掛け声をかけながら激しく踊り出します。よく揃っています。一番小さな女の子が一番セクシーに踊っていました。言葉の意味はわからないのですが、小さなバオバブが大地に根を下ろす。そのことを、心の底から喜んでいることが、はっきりと感じ取れました。(幕間:2003/09/02)」というようなことを書いてしまいました。つい先日のことです。

ところで、そのころベストセラー街道を突っ走っていたのが養老先生の「バカの壁」です。これを読んでいなかったのが一生の不覚でした。たまたまくれた人がいたので、ありがたく頂いて目を通してびっくり。そっくりな出来事が出ていたのです。ケニアのツルカナ族の村に取材に行ったときのエピソードです。前日にトウモロコシやら噛みタバコやらの土産を約束していたそうです。約束の品を持っていったところ、歌って踊っての大歓迎、この辺そっくりです。

そこで大先生は、通訳に歌詞を翻訳してもらったのだそうです。ここいらが学者と凡人の違いです。すると(以下、無断引用)、

「この間、選挙で投票して当選した人は、あれもする、これもするっていろんな約束したけど、何にもしない。きのう、お土産を持ってくるって約束したお客はちゃんと持ってきた」

という歌詞だったのだそうです。地上最古の現世人類とも言われるアフリカーナ、彼らの発想がモンゴロイドと同じ筈がないことに気付くべきでした。やはりバカの壁はありました。我々の場合も多分、

「政治家は何も持ってこない。しかし、日本からのお客は、お酒やお米を持って来てくれた。そのうえ村に寄附までして、バオバブの木を植えてくれた」

だったのでしょうね。

U先生からいただいた近況です。我々が行けなかったモロンダバでは、ご神木とでもいうべき見事なバオバブに出会えたそうですが、

「写真を何枚かお送りしたバオバブの御神木が崩御されたそうです。我々のグループ11人でやっと抱えることが出来た大木です。周りにはお供え物の壇さえありました。周りが水田になり、根ぐされしたのではないかというのです。もともとはバオバブの森林だったことを考えると、この推理は正しいのでしょう」

バオバブ悲し!
2004/01/20(Tue) 晴れ


[ 友蔵心のテレビ ]
テバが定期的に視聴するTV番組は、年の経過とともにどんどん減ってきていました。ついには極限状態とでもいうか、日曜日の夕方18:00〜18:30の「ちび○子ちゃん」一本になっていました。ところが最近、これですら時には「面倒臭い」とばかり、スッポかすことが多くなってきていたのです。危ない兆候です。外界の刺激に対して自己を閉ざす、これこそ初老性鬱病の初期症状ですよね。

ところで、先日、近所の電機店で、カ○オの可愛らしい4インチほどの液晶テレビを見つけました。お値段も大変廉価です。ひまさんにせがんで買ってもらいました。現在はPCの17インチ・モニターの横に大層行儀良く座ってます。すると、あーら不思議、ちび○子ちゃんを、しっかり見ているではありませんか。そこで哲学してみたのです。一体、これはどういうことなのだろうか(民放的表現)?

それ以前の興味が失われ始めたころ、我が家に大画面の液晶プロジェクションなんたらが導入されていたのでした。サイズは忘れたので省きますが、とにかく巨大。壁面一画独占みたいなヤツです。そうです、これが原因だったのでした。テレビ用アニメは、こんな巨大画面で見ちゃあいけなかったのです。劇場用アニメなら別ですが、ディテイルが全くない原色アニメ向きじゃなかったのですね。

そうすると、初老性鬱病の嫌疑もかなり希薄になってきたことです。4インチもあります。まだまだ生き甲斐に満ちた人生が待っていそうです。でもね、ちび○子ちゃんしか見ないテバにとって、あの巨大画面のテレビは何だったんでしょう。もっとも、4インチの方は、お得意さまということで(そりゃ、そうだ)、30%も値引きしてくれました。映りの悪い室内アンテナですが、結構楽しんでいます。

精神的にも、1.17を過ぎて多少楽になってきました。
2004/01/19(Mon) 晴れ


[ 雑炊考 ]
広辞苑で「おじや」を引くと、「雑炊」と出てきます。そこで「雑炊」に進むと、「大根・ねぎなどの具を刻みこみ味付けをして炊いた粥。おじや。こながき」とあります。こながきを探すと「糂」と書くようで、米の粉をといて煮た食べ物とあります。これ以上の説明は見当りませんでした。新村出先生は説明抜きで「こながき」と言っておられますから、食しておられたのでしょう。

問題は雑炊と粥とおじやが同じものかどうかです。鍋のハイ・シーズンである昨今、その終わりあたりでよく出会う疑問です。沖縄にはジューシーというものがありました。一種の炊き込みご飯で、「雑炊」のことだと教わりました。ただ、「糂」の隣りに「糅(ジュウ)」というのを見つけてしまいました。米に雑穀をまぜたもののことのようです。「糅炊」がジューシーなのかも。

結局まとまりませんでした。ただ、伝統的な沖縄料理には鍋料理がないことだけは確かです。次へのヒントになるかも知れません。
2004/01/18(Sun) 晴れ


[ 明日天気になあれ ]
今朝ついに、岩田ヨネさんが亡くなられました。あの大阪は池田市民病院の一室でのことでした。

カンムリ抜きで池田といえば摂州池田です。○○池田という地名は全国に数多いことですが、これらは全て、本家の摂津池田に敬意を表してのことです。阪急の創業者・小林一三翁(逸翁)が、こよなく愛した地です。彼は阪急電鉄・宝塚少女歌劇団・箕面温泉など数々のアイディアを実現しましたが、自社の社員のためには、郊外型分譲住宅も発明しました。その地こそ池田です。リストラに血道をあげている現代の経営者が異星人に見えることです。荷車一台がやっと通れるような室町界隈の街路を散策すると、逸翁の思いが偲ばれます。そうそう、あの「人類は麺類だ」と喝破された安藤百福博士・東京大学名誉教授も、戦後ですが、この地で大発明をされました。ドラマでは秋ちゃんの師匠筋ですが。

江戸時代、松村月渓という京都の文人がおりました。彼は修学を志して西遊を決意したのですが、池田の地まで来て、そのあまりの居心地の良さに、とうとう永住してしまったそうです。呉服(くれは)町に住み、号を呉春と称しました。今でも能勢の三白の一つである銘酒「秋の鹿」と並んで、「呉春」にその名を残します。絶品ですよ。京都からの旅程ですが、伏見に一泊、枚方に一泊としてせいぜい三日でしょう。三日坊主のハシリですね。生涯、街の西縁を画す猪名川を越えたことがなかったそうです。この猪名川の水は若干硬水です。テバも住み着いたばかりのころは、少々お腹の具合が良くありませんでした。まあ、しかし、噺家とか芸人は行く先々の「水」に合わせるものです。慣れました。

この池田の街に生まれ育ったSという男がおりました。会社の同期でした。明るく素直で頭の良い男でした。テバが突っかかっても、ふぅんわりと受け止めるようなヤツでした。9年前、あの地震の三日前の土曜日に夭折したのです。枕許にいました。馬鹿野郎です。直後、あの地震に遭ったのですが、テバは思わず菅原道真のことを想起しました。でも、これはテバの思い過ごしです。Sは道真とは大違いで、潔い性格の男でした。しかし今でも、小寒、大寒の声を聞くと、あの地震とSのことで頭が一杯になってしまいます。年齢が加わるほど、ひどくなってきているような気さえします。あいつが元気でいたら、たまには酒でも酌み交わせたのに、野放図な浮世離れした話も聞けたのに・・・と思うのです。

テバも丁度、地震対策担当みたいなポストにいたので、Sの通夜・告別が終わった直後から、数多くの渦の一つに巻き込まれてしまいました。Sのことはしみじみと思い返す暇もありませんでした。人生って残酷なんでしょうか。それともウマく出来ているのでしょうか。その後しばらく経って、テバもめでたく過労でブッ倒れました。あの高貴な心臓病棟の仲間にしてもらったのです。途端に生じたありあまる時間の中で、例の尊大で脂ぎった無能なお調子者の国○議員諸氏の顔を、次々と想い浮かべたりしてました。それでも時々はSのことを思い出します。あいつを国会に送り込んでやったら、日本も何百分の一ぐらいは良くなったろうにな、そんなことを考えつつ二ヶ月の入院加療に耐えたのでした。

 寒に入りて 出口求める 虫あはれ
2004/01/17(Sat) 曇り


[ 第三の男 ]
ローマ、パリ、ウィーンなどの地下下水道は有名ですね。大昔にあれだけの地下構造物を造った技術力と先見性ということで、いろんな歴史書でも高く評価しています。日本なんかとは文化程度が相当違ったんだ、とまで言われていました。確かに現代の技術をもってしても、地下構造物の建設には大変な手間と費用がかかります。古代ローマのクロアカ・マッシマ(大下水道)あたりは、その基礎が紀元前6世紀ごろ築かれたというのだからすごい・・・とテバも信じ切っていたのでした。

ところが、アントワープの市街地発展史とかいうものを読んでいたら、あれれという思いになってきました。時は18世紀といいますから、ウィーンで第三の男の舞台が整備されたのと同時代の出来事です。それ以前は、アントワープでも、下水は側溝(ドブ)を伝わって開渠式の水路へ、そして川へと流れ込んでいたとあります。当然ながら臭いはすごいし、大雨で一旦溢れると疫病は蔓延するしというように、問題山積だったようです。これには文化的で賢明な市当局も頭を抱えました。

一番多かったのは酔っぱらいの問題だそうです。水路に転落して、溺れたり病気に罹ったりたりする人が引きも切らなかったとあります。あの辺には酒場も多いことでしょう。そこに頭の良い人が登場します。蓋を掛けてしまえ、と提案します。しかし市にはそんな予算がありません。そこで、自宅前の水路に蓋を掛けたら、そこに家を建増ししてもよい、というお布令を出したようです。たちまちみんなが先を争って蓋を掛けはじめた、とあります。地下下水道の一丁あがり、というわけです。

出来合いの建物や道路の下に後から掘っていくのと違い、これなら簡単に安くできそうな話です。ただし、時間がたっぷり必要ですね。ゆっくりやりましょう。日本では、明治以降、建物も道路も下水道も地下鉄もと、一挙に造りはじめました。それはもう、たった100年の間に何もかも、という有り様でした。一旦焼け野原にもなりました。したがって、出会い頭のハチャメチャ・混乱が至るところで見られたことです。日本は駄目なんだ、とばかりは言えないと思いますよ。可哀想な日本・・・かも。
2004/01/13(Tue) 晴れ


[ ひゅるる〜 ]
ここのところ、「下手にズルい」と思わせる話が多いですね。夏に冷蔵したまま放置していた鶏卵5万数千個を、採卵日を偽って出荷したというのがありました。卵って生産者段階の価格は幾らぐらいなのでしょうか。どう見ても、営々と築いてきた企業の信用と、取りかえっこできるほどの額じゃあなかったでしょうね。サルカニ合戦のような話でした。食品衛生法が無力だというのも初耳でした。少なくとも「法」と呼べるほどのものじゃなかったようです。保健所自身が認めたわけです。あとは食品に偽装した危険物を売りつけられた消費者が、不法行為で訴えるだけですか。民法・刑法の世界です。

某神社の開門神事での出走妨害問題は、多少ほほえましい「ズルさ」ですね。揃いのトレーナーでやってしまったから共同謀議が発覚、放送を見た視聴者からの抗議の嵐を呼んでしまったようです。誰も馬券を買っていた訳じゃあないんだし、もし本当にインチキしたのなら、福男に下される神罰の方が怖いですよ、きっと。ただ神官が「私は他のことは知らない。トップの人だからあげた」とか某市消防局が「プライベートなことだから・・・」とコメントしたあたりは、気合いが入ってなくて残念でした。神社当局も、運動会程度の神事だったのなら、来年から廃止してしまえばよいのではないでしょうか。

どっかの宰相なんかは、初詣に見せかけて官幣大社詣でをしてました。立派なパフォーマンスです。紋付きも袴も良くお似合いでした。少なくとも年一回のペースは維持してますね。しかし、北京の前外務大臣のしっぺ返しもキツかったことです。核問題は六カ国でやるが、拉致問題は二カ国でどーぞと言ってました。食糧・エネルギー支援で片付けたらどう? です。たしかに、自分に状況処理能力がないので他人に頼むんであれば、普段からもう少し謙虚になるべきだと思いますよ。T委員に理ありという気がします。ところで「古傷に塩を擦り込む」、これって本場中華帝国の表現だったようです。
2004/01/12(Mon) 晴れ


[ ううぅ〜 ]
またまた愚痴を言いたい季節になりました。今年は小寒が6日、大寒が21日とあります。体感気温がどんどん下がっていく最悪の2週間余です。これを乗り切らないと春が立たないのだから、因果なことです。それにしても、気候が定まりませんね。冷夏だ、いや違った、暖冬だ、ぁ間違い、てなことで、あてにならないこと某国の核開発の如しです。

フリースの帽子なんてぇものを購入してしまいました。あと膝掛けと室内用マフラーね。これに杖でも持てば、早朝の病院の待合室に似合いの「老人」のできあがりです。しかし星がよく見える季節でもあります。先日の検眼では左1.6・右1.4でしたから、合計3.0です。少年のころの星空が蘇ってきています。あの南十字星も今なら・・・惜しいことでした。

 木枯らしの 音ぞ耳にや 還りきぬ 春待ちかねる 命なりけり

表紙を普段着に戻しました。太陽と月のガレー船にしてみました。もち、不法改造のパクリモノです。
2004/01/11(Sun) 晴れ


[ ライオンズ・ファン ]
あのS/Nライオンズのバリバリ・ファンであるH氏が、久方ぶりに来駕されました。多少体調を崩しているため、カダラに似合わぬ食餌制限を継続しておられます。その結果、若干スリム(?)を維持しているようです。当然、話題もその辺が中心になります。塩分コントロールあたりは当然ですが、刎頸の友とも言うべきラーメンとの決別・絶食のくだりになると、周辺にも「オ・オーッ!」という感動を与えます。もう一年近く、接近すらしていないのだそうです。これはご婦人方には理解できない事かもしれません。しかし男性にとっては、「芋絶ち」にも相当する過酷な行なのです。

そこいらから話は、ダイエット論方面に展開します。テバは既に解脱してますから、あたかも高僧の如き立場から、笠さんのように「ほーう・ほぅ」などとやってます。しかし、若い人は結構苦労しているようですね。そりゃあ同情するところはありますよ。一所懸命働いている盛りですから、塩やカロリーの補給も必要でしょう。この辺は、むつかしいところですよね。意思と表象としての食い物の話、結構なデリカシーなのです。この頃のテバは、自分から話題にすることを避けています。他人の原始的本能に点火して変なトラブルに巻き込まれる、これはご勘弁という心境です。

しかしタブーなき凡俗のH氏は突き進みます。「君たち知っているか?」ときます。「油やハムも適度に摂らないと立派なヒトにはなれないんだ」、ときます。そこでテバは素直に「アブラハム・リンカーンですよね」とつぶやきました。すると、H氏は「何てことを言うんだ!」、と激昂します。しまった、二段落ちに嵌められたのか、と、思ったことです。しかし結論は平凡でした。夜も寝ずに考えたオチを簡単にバラしやがって、という程度のお怒りでありました。この程度のやりとりでさえ、若者の中には、理解できずに呆然としていたヒトもいたことです。そう、イチから出直すべきヤカラです。

それよりも、大喜利のキクゾウ並みの芸を披露してしまったH氏に問題ありです。文楽師匠のように、「勉強し直して参る」のが当然でしょう。
2004/01/09(Fri) 晴れ


[ 待合室の住人 ]
予約診療システムとはいっても大病院の場合、ある時間帯に複数の予約を入れている。その時間帯の患者は先着順に受け付けられるルールだ。患者の遅刻・欠席などで、先生の貴重な時間に変な穴を空けないための配慮だろう。判る。特に眼科は1時間単位で大きく区切ってあるので、複数の「数」が大きい。従って、グループの一番乗りとドンベとでは、1時間以上の差が出てしまう。今回は二番手の9:30グループだった。早く「あがり」たいので、大変な早起きをして、8:20に間に合うように出勤した。8:20とは、当日第一グループ(8:30)の受付開始時刻である。

8:05ごろ着いた。案の定、待合い整理券が発行されていた。で、貰った番号を見てびっくり。既に13番なのである。この時刻で、テバより早い人が12人もいたのだ。待合室を見回してみると、5〜6人ほどお年寄りがおられる。あとの人は多分、食堂にでも行っているのだろう。見える範囲にいる人はというと、新聞を読んでいるのは良いほうで、ベンチを一脚独占し仮眠している豪傑もいる。睡眠、新聞、朝食、とは・・・、まさに「住んで」おられるということである。確かに眼科は老人専用診療科であった。現役の生活パターンでは、とても対抗できるものではなかったのだ。

どんなに早い番号で受け付けられても、非情なコンピュータは、8:30グループを優先する。従って、9:30から10分ほど過ぎてから、やっと呼び出し表示が出てきた。これはオーバーブッキングしているせいだ。この辺は国際線の予約にも似ている。あとのグループほど大幅に後ろにズレる。しかし驚くべし、9:30グループでも2番だったのだ。つまり先行12人中に、もう一人同じ時間帯グループの人がいたのだ。番号の並びで判る。相当耳の遠い人らしく、散瞳の点眼をする看護婦さんが、耳許でゆっくり大声で話しかけていた。隣の耳鼻咽喉科にも縁があるんだろうな、きっと。

陳情・懇願・アピールを繰り返したおかげか、真穂先生は、次回予約を8:30のトップグループに入れてくれた。しかし、自信はない。住み込み態勢のお年寄りに、「通い」の若造患者が敵うはずがない。スタートの条件からして違いすぎる。レディースティーとバックティーよりも差は大きい。牛後となることは目に見えているのだ。このゲームの場合、牛後と鶏口では時間的な結果には大差がない。早起きが徒労に終わる可能性は高いのである。前夜に入院して「にわか住人」になるのもテかな、などと真剣に考えてしまう。「マナコの病」も、結構、高度・高級な世界なのであった。
2004/01/08(Thr) 曇り


[ バビロンの塔 ]
とうとう始まってしまったようである。予想より5年以上早い展開である。せいぜい2010年ごろから顕在化してくるものだと思っていたのだが・・・適切な用語は、まだない。取りあえず命名すると、仮称・「ITアルツハイマー」である。人間の扱う情報の質というものは、5W1Hを附記することで確認されるというが、これは馬鹿マスコミの嘘。情報の質なんてものは、人間の脳は常時・自動的に監視・評価しているのである。WやHは、どこかの国の低知能国会議員が、新聞や週刊誌を振り回して質問するときの小道具にすぎない。大切なのは内容の多様性と伝搬経路(ソース)である。

多様性が大切なのは、情報の信憑性を判定する材料になるからだ。相互に矛盾しない多様な内容を、より大量に含む新鮮な情報ほど信憑性は高いといえる。なぜなら、「工作・加工・捏造」がどんどん困難になってくるからだ。活字から電波へ、ラジオから映像へ、という情報シフトが起きたのはこうした理由である。この情報シフトが普遍化した結果、小賢しい独裁者が生き延びる確率は事実上ゼロに近づきつつある。もう一つは、情報の伝搬経路の問題である。死語になったかも知れないが、「信頼すべき筋によると」という枕詞が多用された時代もあった。これは今も生きている鉄則である。

ネット、ウェブの登場がこれを破壊しつつある。ウィルスは単なる物理的破壊手段だとすると、信頼性の喪失は情報論的破壊手段であるとも言える。実はこちらの方がタチが悪い。ハングアップはまだましだ。「○○だった」というオリジナルの発信があったとして、これを「○○だったらしい」と改変する。次に、「○○だったというヒトもいるらしい」から、「一部には○○だったという怪説もある」までは一気呵成だ。ITアルツハイマーの世界誕生だ。過多な情報は、ソースをあいまいなものにしてしまう傾向があるようだ。ソースを明確にすると、情報量はどんどん減ってしまう。先端社会のこの矛盾。

対抗手段はないようである。本日、「××らしいというが、誰から聞いたか思い出せないのだけれど、テバ君、調べてみてくれないか」というような依頼を電話で受けた。あっ、始まってしまったか、と思った次第である。というのは、テバの記憶にもそんな点が多く、いつどこでインプットされたか思い出せない情報が渦巻いていたからである。単なる事実(と信じるもの)の羅列は大脳シナプスの退化にすぎない。百科事典の丸暗記程度にすぎない。しかし、どうも、起こりつつあるようである。大脳シナプス構造が破壊された人間同士のコミュニケーション。無意味であり、バビロンの塔そのものだ。

重ねてもう一つ、ショッキングな話を聞いた。テバと同い年の男が、某大新聞の人生相談員に就任したという。人生に踏み迷っている最中の世代が、悩めるアカの他人の相談にあずかるというのだ。どうしようというのだろう。双方にとって百害無益なのではないのか。アイツに人生のキズと精神病理の区別がつくのだろうか。鬱病の人間を励ましたりしてしまうのではないだろうか。その結果自殺でもされたら、どうケジメをつけるつもりなのだろう。自分の創作活動の行き詰まりの代償行為だと自省しなかったのだろうか・・・元来真面目なヤツだから、そんな計算なんかできっこないだろうし・・・。

これも、ネット、ウェブ社会に生じたITアルツハイマー病理の一つのような気がしてきた。自と他の区別、物と心の区別、量と質の区別、生と死の区別、学と理の区別、すべての境界があいまいになってくる。いいや、ネット、ウェブがそれをもたらしたのではない。そうした「曖昧性」を歓迎したいというヒトの心が先にあって、そうしたバビロンでこそ塔の構築が始まったのだ。ソドムやゴモラも、最初にそれらの街(まち)があったのではなく、ヒトの心が創り出したのだろう。しかし50代半ばの「若造」が、70代の生中年や30代の未成年と、どんな対話を繰り広げるのだろう。楽しみな話ではある。注目。

体力的には十分中年・初老なのだから、自分の足許をしっかり見据えて歩き、他人には「背中」を見て貰えば、それだけで良いと思うのだが・・・人気商売は、つらそう。
2004/01/06(Tue) 晴れ


[ 梵天丸 ]
大河ドラマの長い歴史の中でも、人気度ナンバー・ワンだそうです。新年特番で、再…放送をやっていました。テバはあのころ、後々南朝の乱に連日挺身していたので、ロクに見ておりませんでした。奥州の争乱もなかなかのものであったようで、新鮮な気持ちで拝見することができました。

愛姫(めごひめ)が米沢在住の藤次郎政宗に嫁するくだりでは、「三春城主田村氏の一粒種の息女であった。ちなみに三春とは梅・桃・桜の花が一斉に咲き揃うことにちなんで・・・」というような解説がありました。ひまさんも傍らで、何か内職をしながら見ていたのですが、このナレーションに際して、

 ひ「なるほど、そういう地名だったのね」

と感想を述べます。うとうとしながら見ていたテバも素直に、

 テ「そう、田舎だからね」

と返します。のどかな会話です。
2004/01/04(Sun) 晴れ


[ おれおれ ]
昨年の流行語に「おれおれ詐欺」というのがありました。高齢者社会、年金プチブル、プリペイド携帯、コンビニATMなど、現代社会の特性が余すところなく反映されています。平均被害額は警察庁(全国、1-10月)で82万円/件、警視庁(1-5月)で67万円、神奈川県警(5-10月)で82万円程度のようです。別に東京のお年寄りがケチなのでなく、月を追って額が増えているものと見られます。特に先月末に急増しています。「お年寄り」の平均年齢は60代半ばです。40代の被害者もいますが、70代の方が一番多いようです。

孫の「おれ」がお祖母ちゃん・お祖父ちゃんに訴える窮状の御三家は、交通事故の示談金、借金弁済、異性とのトラブルです。家賃の支払いのためとかいうのもありますが、あまり大きな金額にはできそうもありませんね。会社がらみでは、自分のミスで損をかけたので弁済しなければならないという責任感旺盛なものや、会社の決算が赤字なので補填してやらないと倒産してしまう、とかがあるようです。怖いものには、ヤクザと喧嘩したので慰謝料が必要というのもあります。孫を良く知ればこそ、祖父母は、即納得します。

悪質化してきて、最初に若い男の声で「おれだけど、助けて」と訴えさせ、いきなり別人がドスの利いた声で「借金返せんなら、孫はエラい目に遭うで・・・」とやるのもあるようです。また、警察官を装い「○○県警の××だが、お宅の孫が事故を起こした。逮捕を免れさせるために△△さんの口座に示談金を・・・」というのまで出てきたようです。特別職公務員を身分詐称すると、罪が一等重くなることまでは知らないようです。そうでなくても、実刑判決が下されつつあるようです。加害者側も相当の覚悟が必要です。

グループでお仕事することが多いようで、お年寄りへの電話係、口座開設係、現金引き出し係などに、細かく分業されているようです。また、昔からある「口座屋」という架空名義口座供給を専門とする業者も参入してきているようです。というのも、関東で「おれおれ」とやっておいて関西の口座を使えば、発覚するまでに時間が掛かるので、繰り返せるというメリットがあるからのようです。この「繰り返し」で合計一千万円以上やられたケースもあるようです。このまま行くと、一大企業群になってしまいそうな勢いです。

公共事業というものは、経済学的には、(所得も含めた広義の)資源の再配分機能を持つと言われます。しかしながら、資源の再配分は公共事業だけの専売ではありません。年金や社会保険なども、当然、そうした機能を持っています。政治・行政の究極の作用とは、そうした各種再配分過程が総合的された結果の、ある種の均衡状態についての目標設定と工程管理だったはずです。戦後50年間忘れてましたから、相当な凸凹が生じてしまいました。凸を削り、凹を埋める、これの民間版が「おれおれ詐欺」なのかもしれません。

公的セクターのこの機能が現在のように極端に衰微してくると、これを民間セクターで補おうという個人・グループが大量に出てきても不思議ありません。ただし、現行法体系上は詐欺という犯罪なのです。一所懸命働いてやっと手にしたささやかな稼ぎ。ところが、しみじみとする暇もなく、アカの他人がピンハネに来ます。何てことをするんだ、と言っても無駄です。これは、現行法体系上、徴税という合法的行為なのです。昔中国の山賊が言ったそうです。「この山は俺の山、この道は俺の道、通るやつはなにがしかを置いていけ」

ところで、本件に関しても、話題提供をしてくれた方がいます。例の改称(?)した宗教団体の某正悟師が書いておられることです。曰く、「農作物泥棒について以前取り上げましたが、最近よく報道される犯罪で、『おれおれ詐欺』があります。・・・実は、私の以前の知り合いの男性にもそういう例があり・・・このような他人の模倣、犯罪の連鎖というのは、無始の過去から繰り返されてきた人間の堕落のパターンとして仏典にも記載されています」・・・とありました。「以前の知り合いの男性」って、まさか、あのヒトでは?
2004/01/03(Sat) 晴れ


[ あけまして おめでとうございます ]
本年も宜しくお願い申し上げます。

大晦日っていうのは、どうして夜更かしをしちゃうんでしょう。お蕎麦を頂いたら、そのまま水でも飲んで寝ちゃえばいい、とはなりません。恥ずかしながら、物心ついて、そんな経験は一度もありません。他人がひっついて夫婦になるわけですが、いずかたの家風もそのようで、この件で揉めて別れたという話も聞いたことがありません。で、傍で子供も夜更かしをしてます。親は咎めません。こうして、子々孫々延々と美風は続くことになります。

芝浜の夫婦の場合、財布を拾った夢の顛末を大晦日の夜に持ち出してました。「おまぃさん、許しておくれ。あたしを叩いておくれ」、「いいや、頭をあげてくんねぇ。謝るのは俺の方だ」と、このくらい深刻な話があるのなら、夜っぴて起きていてもいいでしょう。しかし、毎年こんなことはありません。それじゃあ身がもちません。通常、深刻な話がなくても夜更かしをしてます。これでよいのでしょう。天照大神がそう決めたのでしょう。

 初詣 ひとに任せて 夢参り

本当に、良い年になりますように。
2004/01/01(Thr) 晴れ

My Diary Version 1.21
[ 管理者:テバ 著作:じゃわ 画像:牛飼い ]