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☆★☆- ホンの幕間 -☆★☆

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[ 粋な別れ ]
昨日の検眼は極めて好結果でした。視力も(近眼残しのため)眼鏡補正後ではありますが、1.8、1.8でした。合計(しないって!)3.6の成績です。例の散瞳による眼底検査もOKです。つまり(現在のところ)緑内障の心配もない、ということです。現在=白内障 ⇒ 将来=緑内障、という風に疑いたがるようですね、お医者様というものは。まあ、これも一種の職業病ですか。経過も順調なので、大らかな気持ちで許します。

ところがこの直後です。真穂先生が突然、別れ話を切り出したのです。

 「次回でこの病院は終わりにしましょう。ご近所の適当な医院に紹介状を書きますから」

何と、ミクダリハンというやつです。そう、いつかは来ると知りながら、来てみりゃ哀しい別れ道でした。そういえば老人優先をポリシーとしている眼科に、無理矢理割り込んだのはテバの方だったのでした。昨年の夏の出来事(紹介状でっちあげ事件等)が走馬燈のように駆けめぐります。そうしてその上、元来は老人世界のものだった早朝レースに、血道をあげていたのも自分だったのです。

オレが悪かったんだ・・・先生を責めてはいけない。じっと堪えるテバでありました。男の立ち直りです。車寅次郎。

 テ「そうですか。それならば、土曜日にも診察してくれるようなところがいいですね」

 先「そういうところを捜しておきましょう」

 テ「いつでも診てくれる暇な医院で、ちゃんとしたところをお願いします」

 先「難しいけど捜してみましょう」

男の別れは常に粋なのです。
2004/02/27(Fri) 晴れ


[ 泌尿器の正気 ]
そういう訳で、もう10分早く着くように早起きをしてみました。7時20分に病院到着です。恐ろしいことに、この時間では、外来待合い室には照明すらついていません。常夜灯の薄明かりの中に、人影があちらに一人、こちらに一人と見える程度です。おじいさんが大きな口を開けて寝ている横を通り過ぎます。風邪に注意してくださいね。エスカレータも動いていません。2階までだったので、階段をえっちらおっちらと昇ります。この時間帯のバトルでは、体力も重要な要素であることがわかりました。

2Fのフロアーには3つのカウンターがあるのですが、全くの無人です。待合いの椅子には、猫の子一匹おりません。「テバとトキの神隠し」という言葉さえ浮かんできます。さあ目指すカウンターに着きました。おお、4着です。10分で5人抜いたわけです。駅伝ですか。ところで、ここで大変なことが起こったのです。テバは「4」の札を取ったのですから、次は「5」の札が客待ちをする番です。しかしそこにあったのは「6」の札でした・・・「消えた5番整理札事件」です。しかし、「消える」話がやたら多いことです。

もっともありそうなことは、「四」を嫌った人がいるということですね。その人は「5」を持っているはずですから、後ほどお目にかかる機会があるのかも知れません。7時30分になると制服の兄(ニィ)さんが照明をつけたり、エスカレータを動かしたりして回ります。やっと人外魔境から戻れた、という感想です。まだ45分もありますから、今回も巡回をしてみます。隣の皮膚病科も整理札を出していますが、まだ「3」です。この時点で眼科は2桁台になってます。前回9着だったのもむべなるかな、です。

その向こうの泌尿器科には整理札がなく、

 「当科では予約番号順に診察を行っています」

という主旨のビラが貼ってありました。おお〜おっ、やっと正気に巡り逢ったという思いがしました。ここにしておけば良かった・・・。その隣の産婦人科では「1」の整理札が燦然と輝いていました。おじいさんやおばあさんも、ここまでは荒らしにこないのだろうなと思われました。ここでも良かったのかな・・・。

8時15分、受付が始まります。「1」は高齢のご婦人。「2」はさっき下の階で見かけた大開口熟睡ご老人。「3」は「出頭セズ」。ということで写真判定の結果、堂々の3位入賞となりました。今回は眼科全体での成績です。で「5」の人ですが、・・・やはり消えていました。最初の三人が「中待ち」に呼び込まれます。先頭集団です。多数の「外待ち」人民を尻目に、中央委員会(中廊下)へと進みます。早起きは報いられました。でも、もうやめます。一日中眠くて仕方ありません。権力は眠いものだということです。

次の予約は9時30分グループにしてもらいました。悲話もあったのですが、それは次回。
2004/02/26(Thr) 晴れ


[ UT兄へ : 「板子一枚」 ]
お昼のニュースで室蘭港からの輸送船出航のシーンを見て、ひっくり返りそうになりました。日の丸の旗で不安そうに見送る家族たちと離れたところに、反対を叫ぶグループがあります。ビックリしたのは、そのシュプレヒコールの科白なのでした。いやはや、ここまでレベル低下を起こしていたとは・・・

 「兵士を戦場に送るな〜!」

でありました。赤紙一枚の強制徴募ならいざ知らず、志願制の下での兵士を送る先は、戦場以外の何処だというのでしょう。まさか、国内での治安出動なら許しても良いとでもいうのでしょうか。そこまで進歩したのでしょうか。政治の過酷さがわかっているのなら、室蘭港で叫ぶよりましな行動があるはずです。

洋の東西を問わず、政治に何かを求めてそれが得られた、という歴史が皆無であることは事実です。なぜならば、政治というものは、船底の板子一枚が抜けないように気を使うことだけを、仕事としてくれればよいのです。ゼーキンをあげようとしたり、余計なサービスで人気を取ったり、そんなことは不要・不毛なのです。

中国人は偉い。皇帝陛下に対してさえ、

 日出でて作し 日入りて息ふ
 井を鑿ちて飲み 田を耕して食らふ
 帝力何ぞ我に有らんや

ですものね。SARSも鳥インフルエンザも「放(ホ)っといてんか!」ですものね。
2004/02/21(Sat) 晴れ


[ プロの遣り口 ]
昨日は名古屋に行ってきました。

そこの会社から派遣されている某君の、派遣期間延伸の要請です。某君は良くやってくれていますから、当然、当方が希望するわけです。先方の人事担当者と話をします。

テ 「某君の期間延長の件ですが・・・」

先 「今日来られるというので、その事だと思い、昨日ネマワシをしておきました。OKです」

テ 「ありがとうございます」

先 「電話で済む程度のことなのに、わざわざお出でいただいて恐縮です」

テ 「用なくして人を訪なえ。そんな教育を受けているものですから」

先 「なるほど、これは参考になりました」

テ 「それでは、ちょっと街に繰り出しましょう。これも用なくしてですが」

プロ同士の会話は、このように展開するのです。その間1分未満、その後数時間。

話は変わりますが、同行のM君がマダガスカルの水事情について要領よくまとめてくれました。曾野綾子先生のお作からの引用もありますが、勿論、ご了解を得てあります。
2004/02/20(Fri) 晴れ


[ カンネー、カンナエ、カンネ ]
あのハンニバル・バルカス(雷将)は、爾後世界の戦史に残る空前絶後の完璧な包囲殲滅戦を遂行した。そのイタリアの原野の地名のことである。スペインはカルタヘーナを発し、雪のアルプス越えを敢行したわずかな手勢のカルタゴ遠征軍が、ほぼ倍するローマ軍団に圧倒的勝利をおさめたのであった。その後の進路によっては、未来のローマ帝国誕生は阻止できたのかもしれない。ローマ側では執政官(総理大臣級)アエミリウス・パウルスを初めとして、元老院議員(上院議員相当・定数300人中)80人が戦死したという。

そう、当時の閣僚・国会議員というものは最前線で戦っていたのだ。こっそりとお忍びで現地に出かけ、サンクスギビングデーにひっかけて、前線兵士を慰問して人気取りを狙うような、卑怯な政治家はいなかったのだ。弊国の総理が、そんな馬鹿をやらないことを願うのみである。

問題はこの地名の日本語表記である。歴史年表なんかを見ると、カンネー、カンナエ、カンネ・・・実に様々な標記がされている。これは、ア・ウ・コレ「æ」というアルファベットの異端児のいたずらである。

Cannæの最後の一文字、これをどう読むかで揉めているのである。しかしながら、これは比較的簡単に解ける問題である。所詮、母音・子音が異なる世界、その変換法則の安定性さえ保てばよい。百科事典のencyclopediaの古表記も「encyclopædia」であって、ア・ウ・コレがある。この外来語を日本語では、決して「エンサイクロペーディア」とか「エンサイクロパエディア」とか言っていない。「エンサイクロペディア」である。ゆえにあの地名は、「カンネ」と読もう。これが正しい。

日本語には曖昧母音なんかないのだから詮方ない。
2004/02/19(Thr) 晴れ


[ 拝復UT兄 : 「ブリキの原理主義」 ]
深夜、BSでギュンターグラスのブリキの太鼓を放映していました。懐かしい作品です。全部みたかったのですが、明日のためにということで、残念ながら途中で寝てしまいました。前半だけでも、20代のころとは全く違った印象を受け、若干驚いています。あの頃はSFとして受け取っていたのですが、この話、全てが現実だったのですね。当時の国境の街ダンツィヒで繰り広げられた事実群の、極めて克明・忠実なコラージュ、アレゴリー。

お送り頂いたURLのライブカメラで見た、フィンランド国境に近いロシアの街。そこにもこの面影がありました。あの亜寒帯のゲルマニアが必死に(けなげに?)守ろうとしているものは何か? それは、この暖温帯性広葉樹林の脳天気な猿には決して理解できないのだろうな、という気がします。マルクは強く、パンは美味しく。しかしそれはいつも夢。現実は拡声器から流れる街頭プロパガンダ、そして麦藁で焼いたジャガイモ、それだけ・・・

豊穣世界のカトリシズムに染まり切ることはできなかった。そこでプロテストしてみる。しかし、それでは足らずにピュリタンまでして、ついには王様の首を斬った。あげくの果ては新大陸への亡命。悲壮かつ壮大です。根底にはある種の原理主義があるのでしょうね。東の、特に砂漠起源の原理主義者とは、当然、喧嘩をするわけです。歴史・地理とは鑑・鏡なのでしょうか。そうすると、この極東の猿にとっての鑑や鏡とは何でしょうか。

11月の選挙で現職を再選するとしたら、あの新大陸の原理主義国家は多分、ベトナム以来の地獄を再度見ることになるのだと思います。地獄と現実を二つの頂点として揺れる永遠の振り子、ですか。憧れの天国の側には決して向かない役立たずの磁針、ですね。多分、分かっていながらやめられないということなのでしょう。運動を停止した帝国はただの田舎町になってしまうという恐怖感、これは歴史として刷り込まれています。

チトーやホー・チ・ミンなら、どう思うでしょう。きっと、「普通の田舎町でいいじゃないか」と言うでしょう。開戦100周年を迎えた猿の帝国は如何?
2004/02/14(Sat) 晴れ


[ 超常不可思議体験 ]
可視光線といいますが、そのすぐ外側に、紫外線と赤外線があります。可視光線の「外」ですから、もちろん見えないはずです。なぜ見えないのかというと、多分、眼球から脳にかけての反応特性なのでしょうね。人間の視覚は太陽光に照らされた条件のもとで、最もよく見えるように出来上がっていて、しかもこれが一番安上がりなのでしょう。今回は、これら「○外線」に輪をかけたものが見えてしまったという話です。

馬齢も重なってきたので、昨年の人間ドックから「頭部CT」をオプションしています。この検査は「前頭葉縮退」なんかが暴露されてしまう、恐ろしい検査です。この検査の最中に、前回見えなかったものが見えたのです。それは蛍光色の円でした。頭の周りを何かが回転しています。回転が止まると円は消えました。次に検査台が少しずれます。次の回転が始まります。すると今度は蛍光色の円環(ドーナツ)が見えました。

そこでこのタイプのCTについて調べてみました。全く同じ検査機が写っている写真の横に、「X線を発生するX線管球とX線の量を測る検出器が向かい合うように設置され・・・」と解説してあります。ゲッ、あれはX線が見えたのだ、と悟った次第です。しかし何故でしょう。変わったのはテバの「レンズ」でした。前回のCTの時は天然水晶体、今回は人工眼内レンズでした。人工レンズ体は、X線を受けるとポーッと光るのでした。

サイボーグ化って凄いものだ、という実体験でした。しかし、もう止めます。あんまり気持ち良いものではありません。
2004/02/13(Fri) 晴れ


[ 80GB ]
標題の容量のHDDが届いた。届いたといっても頼んだわけではない。ハイッ、という感じで配達されたわけだ。サイズは能率手帳の小型版程度。当然、おい、おいである。どうしてこんなものをホイホイと、と問わざるをえない。配達して歩いている男いわく、全員に使っていただけるようにしました。しかし80GBである。こんな高価なものをヤクルトのように配るなんて。

しかし値段を聞いて驚いた。3万円チョボなのであった。言いたくないけど、白状したくないけど、昔自腹を切って100MBのHDDを買ったときは10万円ぐらいしたのである。容量が800倍で値段が3分の1とすると、2400倍の買い物をしたことになる。非道い。メーカーというのは何を考えているのか。古いお客様ほど大切にするのが商売の常道ではないのか。

猛省を促したい。金返せ!

もっとも、後からよっく考えたら、当時の単価で買ったとしたら2億4千万円もしたんですね。もちろん買えるわけはないので、メーカーは頑張ったともいえるのかな。
2004/02/11(Wed) 晴れ


[ 重い一日 ]
前夜には適当に起きればいいやと思って寝たのに、刷り込み回路が自動的に作動したらしく、いつものような時間に目が覚めてしまった。睡眠力最低の金曜日の朝である。その途端、表ソフト[ファイル名:朝一番に電話をしなければならないお得意様一覧]が、勝手に起動してしまった。疲労困憊のカダラにムチ打って、もそもそと起きあがり、ぼそぼそと出勤することになった。永田町の地下で買った「辛口ソーセージパン」をお茶で流し込む。戦闘開始だ。今日はエイトマンのテーマが鳴り響く(もちろん、頭の中でです)。

さあ、電話だ。第一優先度は○○氏である。が、秘書のコいわく、「申し訳ありません。本日は休暇を取っております」だってさ。第二優先度◎◎氏。「本日◎◎は、午前中外を回っております」だって。第三優先度の△△氏。「休暇でございます」う〜む・・・むむ。第四優先度××氏。「休暇です」。待てよ、と、ここで気が付く。○○と△△と××は、昔からのゴルフ仲間じゃなかったっけ・・・とすると、あの○×も・・・と、チェックを入れる。案の定休暇だった。揃いも揃って、それぞれの会社の危機さえ考えない亡国のヤカラだったのであった。

これほど見事なOBは久方ぶりである。死力を尽した最後のナイスショットの直後、グリーンにスイッと逃げられたようなOBである。何のために老骨にムチ打って出勤したのだろう。呆然・脱力・悲憤・慷慨するのみであった。「神々は存在する。しかしながら神々は、人間の運命には何の関心も持っていない」、古代ローマの笑劇の一節が浮かんでくる。こんな日に限ってアンバラだ。会議とかアポが、午後にはいやと言うほどのすし詰め状態なのに、午前中には何もない。壊れた弥次郎兵衛・・・。眠い・・・。

重い一日の始まりである。

この粗大ゴミを拾う神がいた。あの外回りの◎◎氏が不意に訪ねてきたのである。アポなしだが大歓迎。お茶とコーヒーをたっぷり飲んで頂き、ゆっくりとお話をすることができた。おなかダボダボになったことだろうな、きっと。
2004/02/06(Fri) 晴れ


[ ディジタル・ディバイド・2004 ]
ブラインドタッチができない男が隣りにいる。パソコンに限らず、キーと名の付くもの全てが苦手らしい。大層偉いポストにおられたので、長いこと、他人の文章や書類を批評して暮らしていたらしく、自分で作る必要が全然なかったらしい。習うより馴れろの世界に過ぎないのだが、それゆえにこそ、一定期間触ったこともないまま、ある年齢を過ぎてしまうとどうしようもなくなるようだ。人間の脳の学習機能というものの摩訶不思議さを感じさせる話ではある。

電話も、このごろのプッシュ式は使いにくいという。そういえばダイヤル式の電話機なんて、骨董屋を探してもなかなか見つからないだろうし、持ってきても繋げるのかどうか。パソコンのキーボードをダイヤル式にしてみたら、かなりの壮観でしょうね。直径2メートルぐらいの円盤にはなるだろう。縁に沿って何十というの丸い穴が明いている。指先が擦り切れることは間違いない。穴を同心円状に何段階かに配置してみたら・・・アッ、これではキーボードを使いにくくしただけか。

近所でポコッ・・ポコ・・・ポコッ・・とやっている音を耳にするだけで切ない。その上に、グチり方が振るっている。

「テバさんぐらい早く打てると、頭を使わないで済むからいいな・・・」

だってさ。そりゃあまあ、ロクなことを考えていないことも事実だけど、キーを探すことを「頭を使う」と言うのもね。

もちろんオフィス系ソフトでも苦労している。ドラッグドロップも知らなかったくらいである。図を挿入するのにフレームを作ったのはよいのだが、これを一旦印刷し、サイズを物差しでミリ単位で測り、図も同様に別途同一サイズに作っていた。挿入すれば自動的にサイズが調整されることを知らないのだった。1時間ぐらいかけていた。目を覆う惨事にたまりかねて教えてあげたら、びっくりしていたが、ついでに、

「ボクは、50年ぐらい遅れているようだ」

そんなことはないよ。50年前にはPCなんて影も形もなかったんだから。
2004/02/04(Wed) 晴れ


[ 喜寿 ]
さる先生の喜寿のお祝いで湯河原に行ってまいりました。湯河原は初めてです。そこで某先輩が言ってましたが、自分の年齢が進んでいくほど、人生の奥の方の景色がはっきりと見えてくるそうです。そういえば最近の「お祝いごと」の中心にあるのは叙勲あたりで、確かに若いころにはなかったことです。それから更に人生は進行し、ついに喜寿を見かけるあたりまで来たようです。ジャングルの戦争で若い斥候兵が感じる不安、これが解るような気がします。

二十数名が、若者の方から順繰りにお祝いを申し述べます。1人100秒としてありますが、最後あたりの「大物」弟子たちにこんなルールは通じません。極めつけは「先生」ご自身のお言葉です。昔、媒酌人をお願いした折りには、約30分という破格なご挨拶を頂き、周囲ともども驚いたものです。今回は50分ぐらいでしたか。しかしまあ、座ってのことです。時々瞑目したりビールをなめたりで、間をもたせるのは楽でした。そうそう、覚悟もできていましたし。

先生も喜んでおられました。サラリーマンだったら、77歳のお祝いはやって貰えなかったろう、と仰っておられました。確かに、・・・、きっと誰からも忘れられている筈です。会社人間て今や短距離ランナーになってしまったんですね。人の寿命も延びたことです。それにしても「喜寿」っていうネーミングは「古稀」なんかに較べて、若干風格がありません。杜甫や四書五経とは別の体系だからでしょうね。幹事によると、次は米寿の予定だということでした。

人生はボイジャー2号の旅の如しです。

 湯河原の 如月の風に 虫嬉し
2004/02/01(Sun) 晴れ

My Diary Version 1.21
[ 管理者:テバ 著作:じゃわ 画像:牛飼い ]